30歳代新社長が創業者を超える日 証券会社時代のあだ名は「ジャパ」
1年前のちょうど今頃、業績は過去最高益を記録し、社内の結束力は高まっていた。それを見た高田明は強い決意を持って、長男で副社長(当時)の旭人と食事を共にした。息子には以前から、経営トップ就任を打診していた。それを強く要請する日が来たのである。「覚悟を決めたら」と父。1時間後、息子から言葉が絞り出された。「わかった。やる」。
実は旭人の気持ちもほぼ固まっていた。そのきっかけの一つになったのが、「父との戦い」だ。創業以来、父は佐世保の本社スタジオで番組を制作してきた。それに対し、旭人が任されたのは、最新鋭スタジオを持つ東京・六本木の新拠点だった。
「最高益を達成しなければ社長を辞める」と宣言した2013年。高田が仕掛けた起爆剤の一つが、自らが率いる佐世保と息子が全責任を持つ東京との全面対決であった。勝負は単純にどっちが売れるか。序盤の3カ月は五分五分だった。だが、手応えを得た旭人が「自分たちの手法をもっと浸透させたい」と強気に出ると、父の目の色が変わった。その後は二馬身、三馬身……と差は開くばかり。息子の完敗だった。
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