中学受験の「終わり方」の理想、第1志望に合格するのは3割の苛酷 作家・朝比奈あすか「他者と比較」止めるべき訳
「小説の中の話だよね」ではなく、近くで起きていることをのぞき見している面白さを味わってほしいと。せりふにもこだわっていて、実際の話し言葉にはない長ぜりふのような「小説っぽく」ならないよう、実際に耳に聞こえてくるような口調のせりふを音読、声を出せないときは脳内再生しながら書いています。
―― 塾に行かせたいのは親なのに、子どもが自ら「塾に行きたい」と言うよう仕向けたり、テストでいい点数を取ったからと好物のビーフシチューを夕飯に作ったり。親の意向に沿うよう子どもを導いていくシーンは、文章で読むとゾッとしました。
いい成績を取ったら好物を作る、と言うのはずるいですよね。子どもの居場所は家以外になく、経済的にも依存していて、ほかの選択肢がありません。小説の中の母親「円佳(まどか)さん」も対等だというような顔をして、いろんな取引を子どもにけしかけるわけですが、対等な人間同士だと考えたらひどいことです。友達だったら、こういう言い方をしますか?と。
子どもも一人の人間です。対等な人間として尊重して話せているか、誘導や取引をしていないか、保護者の方は一度考えてみるといいと思います。私も子どもの中学受験で迷走したときは、子どもの心を傷つけてしまったと反省しているので偉そうなことは言えませんが、自分がしたことだからこそ、そのずるさがわかるというか。例えば、自分が子どもに言ったことを文字に起こしてみると、冷静に見ることができていいかもしれません。
―― 中学受験に限らず、「子どものために」と親がついついやってしまうことってありますよね。その度が過ぎて毒親になる可能性は誰にでもあります。
親の望みなのに、子どもの望みであるかのように、よかれと思ってやってしまって、気づけば毒親になっているなんてこともありそうですね。
ちょうど今は、今年度の中学受験が終わった頃で、受験をされた家庭は疲れ果てている時期だと思います。ですが、受験は終わっても子育ては終わっていない。大切なのは合否よりも親子の信頼関係かもしれません。子どもにひどいことを言ったと思うなら、態度を改めたほうがよいです。言われたことは、子どもの心にずっと残ります。親からかけられた言葉は子どもの人格形成につながりますし、子どももいつかは大人になり、親はこういう人だったと大人の目で見る日が来ます。
また、第1志望の“熱望校”に受かってもゴールではないし、第2志望、第3志望……の学校でもすてきな青春が待っています。これからは「子どもが何をやりたいのか?」に心を切り替えて、「どんな大人になってゆくのだろう」と楽しみに見守って子どもの成長を待つのがよいと思います。
第1志望に受かるのは3割、のその後
―― ただでさえ第1志望にうかるのは3割といわれています。第1志望校ではない学校に進学することになった場合に、親はどのように子どもに接したらいいでしょうか。
いろんな人との縁や趣味、打ち込みたいことなどに、どこで出合えるのかはわからない。何がどんな形でその子の人生に響くかは未知なのです。だから、もう結果が出たなら、親がすべきことは子どもの進む道を最善のものと信じて見守ることだと思います。
忙しいと思いますが、入学後は役員を積極的に引き受けたり、そこまでは無理でも保護者会や行事に行って学校への理解を深めたりして、子どもの学校を大切に思っている姿勢を示すと、子どもはとてもうれしいと思います。と同時に、その学校で「この子が何をやりたいのか」に焦点を当てて後押ししてあげるとよいのではないでしょうか。
親子でそういう気持ちに向かうためには、前段階から「〇〇中学しかない」ではなく「この子が何をやりたいのか」という視点で学校を見て、早いうちから想像力を持って“受験”の準備をしておけるといちばんいいのですが。
塾の先生は、集団の成績を上げたいので「上を目指そう」と、みんなに呼びかけるでしょう。「〇〇学校コース」というような、冠名がついたクラスに入れられることもあるかもしれません。それに釣られてしまうと親が成績を上げることばかりに関心がいきがちですが、学力をつけるためには塾を大いに利用しつつ、親が汗をかくところは自分の子のための、独自の情報集めかなと思います。いろんな学校があって個性もさまざま。偏差値や進学実績では測れないところがたくさんある。学校選びの前に、中学生になったら何をしたいか、そしてどういう大人になりたいのか、子どもと未来を話し合っていけば、行く学校がどこになろうと親子の芯はぶれない気がします。