中学受験では、親も感情を整理できなくなってしまう

―― 千代田区・中央区・港区などの都心3区や湾岸部では、子どもたちの9割が中学受験をするといわれています。朝比奈さんは昨年、中学受験をテーマに『翼の翼』を書かれていますが、近年過熱する中学受験をどのように見ていますか。

20年の中学入試において男子難関校を含む10校以上で出題されるなど、国語入試頻出作家としても知られる朝比奈あすか氏
(撮影:松蔭浩之)

中学受験をする動機や目指すものは人それぞれでしょうが、学力上位層になればなるほど、進学塾から「〇〇中学を目指せます」と言われたりして、頂上を目指そうというムードが強まるという話はよく聞きます。かつては、ゆとり教育が求められた時代もあったのに、「〇〇中学を目指せるものなら目指したい」という大人の価値観が変わらないのはどうしてだろうと。

これは中学受験単体を見ているだけではわからないことなのかなと思います。日本の教育の現状を見てみると、メディアは東大を頂点とする学歴ヒエラルキーを否定せず、学校も塾も「東大に○名合格した」といった焦点の当て方をします。人生にはその先があり、もっといろんな生き方があるのに、大学受験を見据えて中学受験を考える人たちも多いようです。『翼の翼』で、子どもの「翼(つばさ)」の志望校のモデルにしたのも、「東大合格○名、日本一」の学校です。その学校には、東大合格〇名以外にも面白いところがたくさんあるのですが、ある種のアイコンのように見て、名前に憧れる親子も多いように思います。

―― わかりやすいですし、実際「どうしたら東大に入れるのだろう」という興味関心も高く、メディアがあおっているところもありますよね。

いい大学を出たから安泰というわけではないし、学歴がすべてじゃないと親たちも本当はわかっています。でも、わが子となると、子どもが困らないように「保険をかけておきたい」「選択肢を増やしてあげよう」と思ってしまいます。いくらあおられても、親が乗らなければいいのに乗ってしまう。私も子どもの中学受験中はそうでした。

私は、自分の受験や就活では、自分の感情をコントロールできなくなるような状態を経験したことはありませんが、子どもの中学受験では気持ちが入りすぎて、冷静でいられないところがありました。頭ではわかっているのですが、感情を整理できない「ままならなさ」みたいなものがある。中学受験直後は疲れていて、中学受験をテーマに小説を書こうという気にはとてもなれませんでした。

親の意向に沿うよう子どもを導いていく怖さ

――『翼の翼』では親子やママ友、義父母との関係や一つひとつのせりふがリアルすぎて「こういう人いるよね」と思い浮かべながら読み進めてしまいました。

子どもの中学受験のときに、かなり情報を集めて詳しくなっていたので、今回書くに当たって特別な取材はしていません。人間関係も、ほぼフィクションでモデルもいないのですが、塾の先生がこういう感じで話していたとか、ママ友とワイワイと愚痴を言っていたことが、小説の中にもにじみ出ているかもしれません。

「小説の中の話だよね」ではなく、近くで起きていることをのぞき見している面白さを味わってほしいと。せりふにもこだわっていて、実際の話し言葉にはない長ぜりふのような「小説っぽく」ならないよう、実際に耳に聞こえてくるような口調のせりふを音読、声を出せないときは脳内再生しながら書いています。

―― 塾に行かせたいのは親なのに、子どもが自ら「塾に行きたい」と言うよう仕向けたり、テストでいい点数を取ったからと好物のビーフシチューを夕飯に作ったり。親の意向に沿うよう子どもを導いていくシーンは、文章で読むとゾッとしました。

いい成績を取ったら好物を作る、と言うのはずるいですよね。子どもの居場所は家以外になく、経済的にも依存していて、ほかの選択肢がありません。小説の中の母親「円佳(まどか)さん」も対等だというような顔をして、いろんな取引を子どもにけしかけるわけですが、対等な人間同士だと考えたらひどいことです。友達だったら、こういう言い方をしますか?と。

子どもも一人の人間です。対等な人間として尊重して話せているか、誘導や取引をしていないか、保護者の方は一度考えてみるといいと思います。私も子どもの中学受験で迷走したときは、子どもの心を傷つけてしまったと反省しているので偉そうなことは言えませんが、自分がしたことだからこそ、そのずるさがわかるというか。例えば、自分が子どもに言ったことを文字に起こしてみると、冷静に見ることができていいかもしれません。

―― 中学受験に限らず、「子どものために」と親がついついやってしまうことってありますよね。その度が過ぎて毒親になる可能性は誰にでもあります。

親の望みなのに、子どもの望みであるかのように、よかれと思ってやってしまって、気づけば毒親になっているなんてこともありそうですね。

ちょうど今は、今年度の中学受験が終わった頃で、受験をされた家庭は疲れ果てている時期だと思います。ですが、受験は終わっても子育ては終わっていない。大切なのは合否よりも親子の信頼関係かもしれません。子どもにひどいことを言ったと思うなら、態度を改めたほうがよいです。言われたことは、子どもの心にずっと残ります。親からかけられた言葉は子どもの人格形成につながりますし、子どももいつかは大人になり、親はこういう人だったと大人の目で見る日が来ます。

また、第1志望の“熱望校”に受かってもゴールではないし、第2志望、第3志望……の学校でもすてきな青春が待っています。これからは「子どもが何をやりたいのか?」に心を切り替えて、「どんな大人になってゆくのだろう」と楽しみに見守って子どもの成長を待つのがよいと思います。

第1志望に受かるのは3割、のその後

―― ただでさえ第1志望にうかるのは3割といわれています。第1志望校ではない学校に進学することになった場合に、親はどのように子どもに接したらいいでしょうか。

いろんな人との縁や趣味、打ち込みたいことなどに、どこで出合えるのかはわからない。何がどんな形でその子の人生に響くかは未知なのです。だから、もう結果が出たなら、親がすべきことは子どもの進む道を最善のものと信じて見守ることだと思います。

忙しいと思いますが、入学後は役員を積極的に引き受けたり、そこまでは無理でも保護者会や行事に行って学校への理解を深めたりして、子どもの学校を大切に思っている姿勢を示すと、子どもはとてもうれしいと思います。と同時に、その学校で「この子が何をやりたいのか」に焦点を当てて後押ししてあげるとよいのではないでしょうか。

親子でそういう気持ちに向かうためには、前段階から「〇〇中学しかない」ではなく「この子が何をやりたいのか」という視点で学校を見て、早いうちから想像力を持って“受験”の準備をしておけるといちばんいいのですが。

塾の先生は、集団の成績を上げたいので「上を目指そう」と、みんなに呼びかけるでしょう。「〇〇学校コース」というような、冠名がついたクラスに入れられることもあるかもしれません。それに釣られてしまうと親が成績を上げることばかりに関心がいきがちですが、学力をつけるためには塾を大いに利用しつつ、親が汗をかくところは自分の子のための、独自の情報集めかなと思います。いろんな学校があって個性もさまざま。偏差値や進学実績では測れないところがたくさんある。学校選びの前に、中学生になったら何をしたいか、そしてどういう大人になりたいのか、子どもと未来を話し合っていけば、行く学校がどこになろうと親子の芯はぶれない気がします。

そういう私も、中学受験期間中は視野が狭くなり、心身共に疲弊していて、こんなことは考えられなくて。取材を通じて中学受験を振り返る機会を得られて、こういうふうにすればよかったなと後付けで語っています。

―― そもそもよりよい人生を歩んでほしい、幸せになってほしいと中学受験をするのに、子どもが受験で自信をなくしてしまったり、自己肯定感が下がってしまっては本末転倒です。

今も比較され、競争で傷つけられて、もしかしたら心の外側がぼろぼろの子もいるかもしれません。ほかの子と比較ばかりしてしまうと、その子本来の姿が見えなくなってしまいます。

しかし子どもたちの心の中には、その子の核というか、この小説になぞらえて言えば、その子だけにしかない「翼」があります。その翼は、目指す場所が最初から違うので、ほかの子とは比較できないものです。

それなのに、つねに他者と比較されたまま大人になってしまうと、自分の翼を折り畳んだまま、どこどこ大学を出ている、なんとか商事に入ったというような、他者と比較しないと自己確認できない大人になってしまって、何が幸せなのかがわからなくなってしまいます。そうならないためにも、自分だけの翼を大切にすること、その翼で自分にとっていちばんよい自分になれる場所を目指すことが大切なんだろうなぁと思います。

中学受験という、どうしても合否が分かれてくるような苛酷な場では、誰との比較でもなくその子の翼を尊重してくれる大人の存在が本当に大事になってくると思います。

偉そうにいろいろと語ってしまいましたが、私も子育ての途中で母親として未熟です。手探りでわからないことばかりですが、いろいろと反省することで、自分を少しずつ改められています。そういう意味では、今は中学受験を経て親としても成長することができたと思っています。

朝比奈あすか(あさひな・あすか)
慶應義塾大学卒業後、会社員を経て、2006年に群像新人文学賞受賞作の『憂鬱なハスビーン』(講談社)で作家デビュー。以降、働く女性や子ども同士の関係を題材にした小説をはじめ、多数の作品を執筆。『君たちは今が世界』(KADOKAWA)と『人間タワー』(文藝春秋)は、20年の中学入試において男子難関校を含む10校以上で出題されるなど、国語入試頻出作家としても注目されている
(撮影:松蔭浩之)

(文:編集部 細川めぐみ、注記のない写真:プラナ / PIXTA)