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10円駄菓子《ヤッターめん》「取引先夜逃げで未払い1500万」「粗利数円」でも倒産せずに借金ゼロを貫く大阪町工場の "逆説の経営哲学"

平成元年に発売され、大ヒットした「ヤッター!めん」。フタの裏にくじが付いている(筆者撮影)
以前は完全密封で、フタに指をボスッと刺して開けるスタイルだったが、数年前から左上にめくり口がついた(筆者撮影)
東大阪市・永和の住宅街にあるジャック製菓。社屋は、第二次大戦中に祖父が移り住んだ、農家だった建物を改築したもの(筆者撮影)
ある駄菓子屋に通う子供たちが、寄せ書きしてジャック製菓に送った色紙が大切に飾られていた(筆者撮影)
朗らかな笑顔がトレードマークのジャック製菓社長 中野幹さん(筆者撮影)
戦前、生野区で菓子問屋「菊水軒」を営んでいた時代の初荷(年はじめの出荷)の様子(写真提供:ジャック製菓)
1960年代は板ガムにカードを付け、「集めれば景品が当たる」仕組みで販売していた(写真はイメージ)
中野さんが関西大学在学中、広告研究部の仲間と広告コンテストに応募した「子供向けリーバイス」を提案するポスター(筆者撮影)
(画像:「平成28年経済センサス-活動調査 産業別集計(卸売業,小売業)」より抜粋して引用)
二代目社長で中野さんの父 進さん(写真提供:ジャック製菓)
ジャック製菓で製造・販売している『かんばんシールチョコ』とおまけのかんばんシール(筆者撮影)
『うんちくんグミ』に食品表示とバーコードを入れたもの。それだけで、フタの半分以上のスペースが埋まってしまっている(筆者撮影)
優さんが新たに開発した、袋入りヤッターめん(筆者撮影)
人気のラムネ菓子「サッカースクラッチ」。日本と海外のサッカーチームが戦い、勝てば「当たり」のスクラッチカード付き(筆者撮影)
バレンタインの時期向けに開発された、唇型の「チュッチュグミ」(筆者撮影)
パンダとブタの容器に入ったミンツ菓子「パンダだブ~」(筆者撮影)
ヤッターめんの製造工程。まずは細かく砕いた麺を、容器に手で流し込む(筆者撮影)
銀色の仕分け板の下に、つらなった赤い容器がセッティングされている(筆者撮影)
紙とアルミ箔を重ねたフタのシートに熱を加え、容器と圧着する(筆者撮影)
圧着後、裁断機で1個ずつにカット(筆者撮影)
箱詰め、検品(筆者撮影)
完成!(筆者撮影)
2代目社長だった中野さんの父 進さんは、実は「法律を勉強して検事になる」夢あったそう。しかし、高校生の時に父(初代)が胃潰瘍になり、7人いた子供の誰かが継がなければならない事態に。長男はすでに学者になることが決まっており、次男は病で早くに亡くなっていたため、3男だった進さんが夢をあきらめて家業を継いだ(筆者撮影)
昭和40年代のジャックは、かりんとうを水あめで包み込んだ棒菓子「奉天」や、えんどう豆を5色の糖衣でくるんだ「五色豆」などを製造していた。中野さんは働く父の背中と、菓子製造の大きなドラムが回っていた風景を覚えている(写真は五色豆のイメージ)
昭和の頃を彷彿とさせる、今はもう使われていない事務所の出入り口(筆者撮影)
事務所には、ファンから届いたヤッターめんの木彫りオブジェも飾られていた(筆者撮影)
原材料費は高騰、1個の利益はわずか数円、消費税導入で駄菓子屋は7割減。取引先の夜逃げで1500万円が吹き…