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サハリンに廃墟として残る戦前の日本製紙工場

1925年に完成、同年11月から操業した恵須取(ウグレゴルスク)の製紙工場。最盛期には1800人超の従業員がいた(写真・那部亜弓)
ホルムスク(真岡)の旧真岡郵便電信局。現在も郵便局があるが、日本時代とは違う建物が立っていた。1945年8月20日、真岡にソ連軍が上陸するとここで勤務中だった女性電話交換手12人のうち10人が自決を図り、9人が死亡した。「北のひめゆり事件」とも呼ばれる
恵須取工場跡地。ここまで下がるとフレームには必ず山や別の建物が入りがちなのだが、それがまったくない。こんな広大な水平の土地に浮かぶ建物は初めてだった
マカロフ(知取)工場跡地。この工場で最も好きな場所。ローマ遺跡のようだ。樺太の広大な土地だからこそできた巨大工場だった
マカロフ工場。到着時刻が遅かったものの、9月でまだ日が沈む時間が遅かった。そのため十分な撮影時間を確保できたが、それでも撮り足らなかった
ホルムスクの工場跡地。ほかの工場と比べて屋根がなく、マカオのカトリック大聖堂のように壁だけが残っている場所が多い
ホルムスクの港湾。州都のユジノサハリンスクがビジネス街なら、ホルムスクは商業の街。日本でいうところの大阪のようなイメージだ
那部亜弓『知られざる日本遺産 日本統治時代のサハリン廃墟巡礼』(八画出版部)
1945年8月8日に旧ソ連が日本に宣戦布告。北方から破竹の勢いで日本領に攻め込んできた。その1つに樺太、…