つくづく思うのは、どん底だった1990年代末のあのとき、不動産の証券化というパラダイム転換を成し遂げてよかったということ。もし間接金融中心の時代が続いていたら、資金調達はしにくく、土地の流動性は低いままで、都会のあちこちで再開発が活発に行われている現在の光景は見られなかったに違いない。私たちも東京ミッドタウンをはじめ、千葉の柏の葉や、東京の豊洲、日比谷などで価値創造型の街づくりに取り組んできた。そしてポスト平成の時代には、何としても五街道の起点にして江戸の中心、東京・日本橋をよみがえらせたい。
99年、旧白木屋の流れをくむ東急百貨店日本橋店が閉店すると知ったときは焦った。白木屋といえば日本橋がにぎわっていたときの象徴だ。それがなくなるということは、街全体がジリ貧に向かうのではないか。私は日本橋の重鎮の方々にも掛け合って「日本橋地域ルネッサンス100年計画委員会」という組織を地元企業や町会とともに立ち上げた。東急百貨店は私たちが買い取り、2004年に商業ビル「コレド日本橋」を開業した。このビルは帆掛け船の形をしている。コレド(COREDO)とは、「コア・エド=江戸の中心」という意味だ。ここから日本橋復活の帆を揚げていくぞ、という意図を込めた。
野暮ったいのは駄目、と日本橋北側は目抜き通りである中央通り沿いの軒先を、かつての建物の高さ制限であった31メートルでそろえ、高層部分はセットバックして建設している。路地裏には石畳を敷き、江戸の趣を感じられる店を並べ、徳川将軍家が庇護した歴史がありながら戦後はビルの片隅に追いやられていた「福徳神社」も再建した。古いものを墨守するだけではなく、イノベーションの場であってほしい、と大学や企業の研究拠点やベンチャー企業を続々誘致している。もともと製薬企業が集積していたかいわいだから、ライフサイエンス企業の活動を盛り上げようと、LINK-J(ライフサイエンス・イノベーション・ネットワーク・ジャパン)を立ち上げ、AMED(日本医療研究開発機構)の創薬拠点も移ってきた。
日本橋の上空を覆う首都高速道路は、国や東京都などがすでに地下化に向けた具体的な整備ルートを決めた。着工は東京オリンピック・パラリンピックが終わってからになるが、橋の上空に青空が戻る日を一日も早く迎えたい。
(聞き手・本誌:西澤佑介)






















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