「君しかいないよ」──。
日本長期信用銀行(長銀)の頭取になってほしい、と打診してきたのは、その年(1998年)の3月から日本銀行総裁となっていた速水優さんだった。当時、僕は日銀で信用機構の担当理事だった。金融システム全体の安定確保が緊急課題だったが、ほかにいい人がいない、ということだったので、じゃあ仕方がない。すぐに記者会見を済ませ、翌朝、小渕恵三首相のところへあいさつに行った。
幸いにも秘書官は面識のあった細川興一君(後の財務事務次官)だった。細川君のおかげで、小渕さんともすんなり話が通じた。長銀頭取になると、株式や金融債を大量に買ってくれていた大口投資家の元へ行った。ロッテの重光武雄オーナーからは「お疲れさまですな」とねぎらわれたが、某大手運輸会社や某ファストフード大手の社長からは「株を買って損をした」と怒られた。いろんな人間がいる、といい経験になった。
長銀は1990年代前半まで、日本で就職偏差値トップの人たちが集まる場所だった。こいつは頭が切れる、買い手探しのために最後まで残ってもらわないと、という人物も実際複数いた。
しかし次々と会社を去っていった。あるとき、辞めますと言ってきた優秀な社員の一人に思わず、「どういう事情で俺がここに来ているかわかっているだろ。そこに立っていろ」と怒りをぶつけたこともあった。
人件費も50%カットした。事務をやってくれる人さえ手薄になった。記者会見で「(人件費削減は)そうとう限界に来ている」と説明したところ、テレビ局の女性記者に「もっと人件費をカットしなきゃダメだ」とかみつかれた。むっとして僕が「あなたの給料はいくらですか」と尋ね返したら、「そんなの答える義務がない」と言われたこともあった。
不良債権の分離、買い手探し、リストラと多忙であったが、法律上、僕の権限でできるのは旧経営陣の責任追及だけだった。追及する相手は私の知っている人たちばかり。つらい仕事だった。
後にNHKが放送した長銀のドキュメンタリー番組を見て、帰省中だった僕のところに小渕さんが突然電話をかけてきたことがある。兄嫁が「カンテイって言っているけど、どこのカンテイですかね」。電話に出てみたら小渕さんで「テレビ見たよ。俺、涙が出たよ」とねぎらっていただいた。小渕さんが倒れたのは、その1カ月後だった。






















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