1990年代半ば、個々の金融機関ごとにどれくらいの不良債権があるのかよくわからなかった。今は一致していると思うが、日本銀行と大蔵省で(資産の)査定方法も違っていた。金融界は全体的にまだ浮ついていて、資産はすべて優良債権だと銀行は主張する。でも、本当にそうかね、と。
97年7月にタイから始まったアジア通貨危機はしだいに収束していったが、今度は日本の危機のほうが大きくなっていく。98年3月、金融安定化2法に基づく佐々波委員会が大手行18行に公的資金を注入するが、金額は約1兆8000億円にとどまった。銀行が逃げているだけでなく、大蔵省も自分の身が危うくなるので、本腰を入れて資本注入をしなかった。
当時、僕はEMEAP(東アジア・オセアニア中央銀行役員会議)の会合でシンガポールに行っていた。その最中、日銀総裁が松下康雄さんから速水優さんに交代した。帰国してビデオに撮っておいた就任会見を見ると、速水さんと藤原(作弥副総裁)さんがニコニコして出ている。「この危機のときにそんなにうれしいのか」というのが、僕の第一印象だった。
日本長期信用銀行(長銀)があんなこと(経営破綻と特別公的管理)になるとは、そのときには予想していなかった。ただ、タイのオフショア市場や韓国市場で長銀が資金を引き揚げた。韓国の中央銀行から「長銀を何とかしてくれ」と言われたが、あれだけ相手国に対し目立つということは何かあるな、という印象は持っていた。
そして、マスコミ報道で長銀問題が取り上げられ、緊迫する。そのとき僕は信用機構担当だったから直ちに特別考査をやった。具体的な数字は言えないが、当時のやり方でも足りない。つまり、債務超過だと。しかし、債務超過だとは対外的には言えない。イ・アイ・イ・インターナショナルの高橋治則社長との関係なども含めて、「長銀問題」としてどんどんクローズアップされていく。資金繰りが苦しくなっていくから、農林系金融機関から一時的に資金を回してもらってしのいだこともあった。
もう亡くなった北海道選出の大物代議士が「君か。農民のカネを動かしているのは」と電話で文句をつけてきたこともあった。「先生、そんなことを言ったら(長銀が)潰れますよ」「潰せばいいじゃないか」「先生、このやり取りを録音しているんです、いいんですね」と。そう言うと押し黙り、二度とかけてこなかった。






















無料会員登録はこちら
ログインはこちら