1997年のIMF危機では2万社が倒産し、200万人が失業。それから20年、韓国経済の主役・財閥はどう変わったか。
1997年12月20日。韓国大統領選に勝利した直後の金大中(キムデジュン)は、余韻に浸るまもなく深刻な現実に直面することになった。「外貨保有高は38.7億ドルしかありません。IMF(国際通貨基金)などの支援を受けたとしても来年1月に満期を迎える外貨建て国債の償還は困難です」との報告を林昌烈(イムチャンリョル)副総理(当時)から受けたためだ。「国の金庫はがらんと空っぽだった。いつ破産するかわからなかった」と、金大中は回想している。
97年1月の韓宝(ハンポ)鉄鋼の倒産、同年10月の起亜(キア)自動車の経営悪化が引き金となり、韓国企業の信用力が悪化した。外国資本が韓国から一斉に引き揚げた流動性危機が、IMF危機の本質だ。IMFや世界銀行、日米から総額約583億ドルの支援を受け、国家破産は免れた。当時の国難を韓国では、「IMF危機」「外換危機」と呼ぶ。
金融支援の交換条件としてIMFが要求したのは四つ。経常収支の黒字化、財閥や金融機関を中心とする経済構造改革、整理解雇制導入など労働改革、資本自由化の促進だった。これらは国民に苦しみを強いるものばかりだった。この苦痛は「今でも韓国人が危機的状況を考える際の最大のポイントとなっている」と、神戸大学大学院教授の木村幹は指摘する。現在の韓国国民には、50〜53年の朝鮮戦争、80年の光州事件、87年の民主化闘争ではなく、IMF危機こそが実感できる危機として生々しく記憶に刻まれているということだ。
この記事は有料会員限定です。
東洋経済オンライン有料会員にご登録頂くと、週刊東洋経済のバックナンバーやオリジナル記事などが読み放題でご利用頂けます。
- 週刊東洋経済のバックナンバー(PDF版)約1,000冊が読み放題
- 東洋経済のオリジナル記事1,000本以上が読み放題
- おすすめ情報をメルマガでお届け
- 限定セミナーにご招待
無料会員登録はこちら
ログインはこちら