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40年前の「牧歌的な渋谷」が外国人の街になるまで

1983年のスクランブル交差点。79年にオープンした「109」はこの時代の最新ファッションビルだった(写真:1983年、吉野純治撮影)
現在の渋谷・スクランブル交差点(写真:2024年12月11日、梅谷秀司撮影)
スクランブル交差点を渡る人の多さは、この時代から都心の駅前でも傑出していた(写真:1987年、東洋経済写真部撮影)
駅東口の東急文化会館(1956年開館、2003年閉館)。館内にプラネタリウム、映画館やショッピング、レストラン街のある施設として親しまれてきたが、現在は「ヒカリエ」に建て替わっている(写真:1983年、吉野純治撮影)
東急東横店。東館(写真左)、西館、南館(写真右)の3つの建物で構成され、渋谷駅と一体化して、ある種の立体迷路と化していた。2020年に閉店して現在再開発中(写真:1989年、東洋経済写真部撮影)
1967年に、渋谷駅前からは若干離れた場所に開店した東急本店。2023年に閉店して、跡地はホテル、集合住宅、商業などの複合施設として再開発中(写真:1992年、尾形文繫撮影)
渋谷西武前の横断歩道。街をゆく女性の髪型は80年代前半に流行った“聖子ちゃんカット ”風(写真:1985年9月12日、東洋経済写真部撮影)
PARCO本館に隣り合い、part2、part3もできて、界隈は若者たちで賑わった(写真:1986年1月11日、東洋経済写真部撮影)
PARCO周辺の路地や坂道にはおしゃれなストリート名が付けられ、原宿と並ぶファッションストリートとなった(写真:1983年、吉野純治撮影)
道玄坂下で駅前から見ても目立つ場所にできた109は、若者たちの渋谷での待ち合わせ場所としてもよく利用されるようになった(写真:1983年、吉野純治撮影)
109前にもスクランブル交差点があり、常に数多くの人が行き交う(写真:1985年、東洋経済写真部撮影)
1987年の渋谷駅前スクランブル交差点。存在している建物は現在とほぼ変わりないのに、ただ、「Qフロント」がまだないことで、この場所の持つオーラが現在とは異なるように感じる(写真:1987年10月19日、東洋経済写真部撮影)
現在はスクリーンヴィジョンだらけのこの場所だが、この時点では目立っているのはネオン看板だけ。(写真:1987年8月19日、東洋経済写真部撮影)
同じ場所から撮った現在の渋谷(写真:2024年12月11日、梅谷秀司撮影)
現在は「Qフロント」のある場所に建っていた峯岸ビルが取り壊された状況(写真:1998年、尾形文繁撮影)
「Qフロント」のTSUTAYAは2024年にリニューアルオープン(写真:2024年12月11日、梅谷秀司撮影)
渋谷センター街のバーガーキング前。スカート丈はミニ、この時期流行した大きめの白いベスト、白いルーズソックス姿の女子高生(写真:1998年9月25日、尾形文繁撮影)
渋谷センター街の高校生カップル(写真:1999年6月22日、梅谷秀司撮影)
現在のセンター街のようす(写真:2024年12月11日、梅谷秀司撮影)
センター街をゆくコギャル。夏は露出多めのファッションに厚底サンダルが定番だった(写真:1998年7月7日、梅谷秀司撮影)
90年代なかばから爆発的に流行ったプリクラ。当時の女子高生の間で、放課後、渋谷センター街に友人とプリクラを撮りにくるのがブームとなった(写真:1998年6月4日、東洋経済写真部撮影)
1980年代から90年代にかけて流行った“テレクラ”や消費者金融などの広告だらけの電話ボックス(写真:1999年6月22日、梅谷秀司撮影)
90年代後半になると、若者の間の連絡ツールはポケベルから、PHS、携帯電話へと変化していった(写真:1998年6月4日、東洋経済写真部撮影)
近年、渋谷では常にどこかで再開発が行われている(写真:2024年12月11日、梅谷秀司撮影)
この頃しみじみと感じるのは「昭和は遠くなりにけり」ということだ。昭和最後の年1989(昭和64・平成元)…