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南海6000系、還暦超えた最古参車両「長寿の秘訣」 関西初オールステンレス、1周回って斬新デザイン

ステンレス無塗装復活デザインの6000系(左)と現行塗装の6000系(記者撮影)
ステンレス無塗装復活デザインの6000系前面(記者撮影)
難波方の先頭車はモハ6001形(記者撮影)
難波側の先頭車モハ6001形はパンタグラフが前側にある(記者撮影)
南海6000系の前面行き先表示幕(記者撮影)
トップナンバーの6001号車は1962年に製造された(記者撮影)
6023号車は1967年に製造された(記者撮影)
6023編成はほかの一般車両と同じ青とオレンジのライン(記者撮影)
右後方に見えるのは両開き式ドアの6300系(記者撮影)
コルゲート外板と片開き式のドアが6000系の特徴(記者撮影)
ステンレス無塗装復活車両のナンバーは緑色のプレート(記者撮影)
橋本方に2両の6028編成を連結(記者撮影)
橋本寄りの先頭車。6028編成の2両も無塗装(記者撮影)
橋本方の先頭車(記者撮影)
6000系は高野線の橋本までが運行範囲。登場時は三日市町までだった(記者撮影)
側面のコルゲート外板(記者撮影)
太陽の光を反射して輝く銀色の車体(記者撮影)
「救援」と「回送」の幕(記者撮影)
側面の「NANKAI」のロゴ(記者撮影)
4両と2両の編成を連結(記者撮影)
更新改造の際に交換した台車。この車両はほかの形式から転用した「ミンデンドイツ式」台車だ(記者撮影)
太陽の光を反射して輝く銀色の車体(記者撮影)
6000系の運転席(記者撮影)
6000系の運転台(記者撮影)
6000系の運転台(記者撮影)
乗務員室の機器類(記者撮影)
乗務員室の機器類(記者撮影)
乗務員室の機器類(記者撮影)
乗務員室の機器類(記者撮影)
乗務員室の機器類(記者撮影)
前方にある“観音開き”の扉の内部にも…(記者撮影)
機器類がびっしり詰まっている(記者撮影)
渋いフォントの車内の「禁煙」表示(記者撮影)
通勤通学用の一般車両らしいロングシートの車内(記者撮影)
側面には「2段上昇式」の窓が並ぶ(記者撮影)
カーテンを閉めた状態(記者撮影)
戸袋にあたる部分の窓(右手前)は開閉できないがデザインは2段窓に合わせている(記者撮影)
検車区千代田検車の小川愼一担当区長(記者撮影)
大きくて重量感がある片開き式ドア(記者撮影)
片開き式ドアの開閉の様子(記者撮影)
片開き式ドアの開閉の様子(記者撮影)
片開き式ドアの開閉の様子(記者撮影)
片開き式ドアの開閉の様子(記者撮影)
片開き式ドアの開閉の様子(記者撮影)
ドア部分の注意書き(記者撮影)
4両編成と2両編成の連結部分(記者撮影)
連結部分の貫通路(記者撮影)
6000系に似た外観の6300系はドアが両開き式で窓の形状が違っている。もとは6100系と呼ばれ1970年に登場した(記者撮影)
南海6000系の初期の姿。方向幕や前面貫通扉の車番がなく、連結器も現在とは異なる。台車は外側ディスクブレーキの「パイオニアⅢ」(写真:南海電鉄)
難波―三日市町間の準急として走る南海6000系。登場時の運用範囲は三日市町までだった(写真:南海電鉄)
非冷房時代の南海6000系。パンタグラフは現在の下枠交差型ではなくひし形だ(写真:南海電鉄)
難波―千代田間の準急として走る非冷房時代の南海6000系(写真:南海電鉄)
非冷房時代の南海6000系。台車の外側ディスクブレーキが光って見える(写真:南海電鉄)
立ち並ぶ団地をバックに走る姿。運転台付きの制御車を中間に連結している(写真:南海電鉄)
区間急行として走る非冷房時代の南海6000系。高野線の区間急行は1970年に登場した(写真:南海電鉄)
1971年の泉北高速鉄道(現・南海泉北線)開業後は泉北線にも乗り入れるようになった(写真:南海電鉄)
泉北線光明池行き準急の行先札を掲げた南海6000系。光明池まで開業したのは1977年8月だ(写真:南海電鉄)
更新工事で冷房装置を搭載した後の南海6000系。方向幕も設置した(写真:南海電鉄)
冷房化・更新工事後の南海6000系(写真:南海電鉄)
新塗装化後、白地の方向幕だった時代の南海6000系(写真:南海電鉄)
現在、南海電気鉄道を代表する車両といえば“レトロフューチャー”をデザインのコンセプトに開発された空…