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宗谷線から日豊線まで、全国「峠越え」鉄路の記憶

奥羽本線の板谷峠。峠駅のスイッチバックを通過するEF71形牽引の旅客列車=1988年(撮影:南正時)
板谷峠を駆ける特急「つばさ」(撮影:南正時)
ED78形が牽引する板谷峠の普通列車(撮影:南正時)
EF71形が牽引する旧型客車の旅客列車が板谷峠を走る(撮影:南正時)
板谷峠を走る貨物列車(撮影:南正時)
スイッチバックの板谷駅(撮影:南正時)
「峠の力餅」4代目店主の夫婦=1988年(撮影:南正時)
板谷峠に咲くベニバナと山形新幹線E3系=関根―大沢間(撮影:南正時)
板谷峠の急勾配を行くE8系「つばさ」=板谷にて(撮影:南正時)
板谷駅シェルターを通過するE8系「つばさ」(撮影:南正時)
信越本線の碓氷峠は国鉄・JRの最急勾配66.7‰で知られる難所だった(撮影:南正時)
信越本線の碓氷峠、熊ノ平信号所を通過するEF63形(撮影:南正時)
EF63形を先頭に峠を下ってきた特急「あさま」(撮影:南正時)
EF63形と特急「あさま」の連結作業(撮影:南正時)
熊ノ平信号場付近、旧トンネルから見た特急「あさま」(撮影:南正時)
信越本線のアプト式区間電化当初に導入されたドイツ製のEC40形(10000形)電気機関車(撮影:南正時)
アプト式時代に碓氷峠で活躍したED42形(撮影:南正時)
山陽本線の難所「瀬野八」。現在はEF210形300番台が補機を務める(撮影:南正時)
山陽本線の「瀬野八越え」で活躍したD52形=1959年、尾道にて(写真:大塚康生)
瀬野八の補機として長年活躍したEF67形(撮影:南正時)
現在の補機、EF210形300番台(撮影:南正時)
宗谷本線の塩狩峠越えに挑むC55形30号機=1973年(撮影:南正時)
雪の中、塩狩峠を走る客車からの車窓風景(撮影:南正時)
塩狩峠を行くキハ40系(撮影:南正時)
石北本線の常紋越えに挑むD51形牽引の貨物列車=1973年(撮影:南正時)
石北本線の常紋トンネルを出たD51形牽引の貨物列車(撮影:南正時)
常紋越えに挑むD51形牽引の貨物列車(撮影:南正時)
名寄本線の天北峠に挑む9600形の重連(撮影:南正時)
石北峠を越える特急「オホーツク」(撮影:南正時)
特急「おおぞら」の車窓から見た狩勝峠(撮影:南正時)
函館本線「山線」の倶知安峠で力闘するC62形3号機(撮影:南正時)
山線全盛の時代、C62形が牽引する急行「ニセコ」=倶知安にて(撮影:南正時)
山線の峠の駅、小沢(撮影:南正時)
小沢駅を発車した9600形とD51形の重連が牽く貨物列車が倶知安峠へ挑む(撮影:南正時)
オタモイ峠を行くC62形3号機=1973年(撮影:南正時)
山線の稲穂峠、DD51形重連が牽く急行「ニセコ」=然別にて(撮影:南正時)
花輪線の龍ヶ森越えに挑む8620形の3重連(撮影:南正時)
龍ヶ森駅はJR化直後に安比高原駅へと駅名を変更した(撮影:南正時)
現在はディーゼルカーが軽快に走る花輪線(撮影:南正時)
田沢湖線の仙岩峠。秋田新幹線E3系「こまち」が走る(撮影:南正時)
米坂線の宇津峠越え。9600形が長編成の客車を牽く (撮影:南正時)
米坂線の宇津峠越えに挑む貨物列車(撮影:南正時)
米坂線の羽前沼沢駅で交換する9600形牽引の貨物列車(撮影:南正時)
JR化後の米坂線宇津峠。キハ52形とキハ47形の2両編成が走る(撮影:南正時)
電化間近の奥羽本線矢立峠を行くD51形牽引の貨物列車=1971年(撮影:南正時)
電化間近の奥羽本線矢立峠を行くC61形牽引の旅客列車=1971年(撮影:南正時)
陸羽東線の分水嶺越え、羽前赤倉―堺田間を走るC58形牽引の列車(撮影:南正時)
陸羽東線の分水嶺越え、雪の羽前赤倉―堺田間を走る列車(撮影:南正時)
只見線の田子倉―六十里越間を走る列車(撮影:南正時)
交流電化発祥の地、仙山線の面白山高原越え(撮影:南正時)
EF16形が補機を務める上越線の貨物列車(撮影:南正時)
上越線で「峠越えのシェルパ」としてファンの人気を集めたEF16形とEF15形の重連(撮影:南正時)
上越線で「峠越えのシェルパ」としてファンの人気を集めたEF16形(撮影:南正時)
上越線で「峠越えのシェルパ」としてファンの人気を集めたEF16形(撮影:南正時)
上越線を走る湘南色の115系(撮影:南正時)
中央本線には多くの峠越え区間がある。EF64形の重連が牽引する貨物列車(撮影:南正時)
中央本線の笹子峠を越えてきた特急「かいじ」(撮影:南正時)
EH200形が牽引する貨物列車が小仏峠を走る(撮影:南正時)
中央本線の車内販売で有名だった「笹子餅」(撮影:南正時)
八高線の金子坂を行くD51形牽引の旅客列車(撮影:南正時)
「日本三大車窓」の1つ、篠ノ井線の姨捨駅付近。善光寺平を望む(撮影:南正時)
姨捨越えに挑むEF200形牽引の貨物列車(撮影:南正時)
スイッチバックの姨捨駅(撮影:南正時)
長野方面から勾配を上ってきた普通電車。奥に見える駅が姨捨駅(撮影:南正時)
信越本線の二本木駅もスイッチバック駅だ(撮影:南正時)
日本の鉄道最高地点を走る小海線(撮影:南正時)
小海線の日本鉄道最高地点(撮影:南正時)
北陸本線の倶利伽羅峠越え補機に使われたE10形=1955年、石動にて(撮影:大塚康生)
北陸本線の倶利伽羅峠越え補機に使われたE10形=1955年、石動にて(撮影:大塚康生)
関西本線の「加太越え」。後部補機を連結したD51形の貨物列車(撮影:南正時)
JR化後の関西本線加太駅(撮影:南正時)
JR化後はキハ120形が軽快に走る加太越え(撮影:南正時)
中央西線の鳥居峠を行くD51形=1971年(撮影:南正時)
中央西線の鳥居峠を行くD51形(撮影:南正時)
JR化後の中央西線奈良井駅付近。特急「しなの」が走る(撮影:南正時)
東海道本線の関ケ原越え、マンモス電機として知られたEF10形牽引の貨物列車が走る(撮影:南正時)
関ケ原を走るEH10形牽引の貨物列車(撮影:南正時)
関ケ原を走るEH10形牽引の貨物列車(撮影:南正時)
関ケ原越えに挑むEF210形牽引の貨物列車(撮影:南正時)
EF58形重連の牽引で関ケ原を越える急行「ちくま51号」(撮影:南正時)
播但線の生野峠越え、C57形が先頭の3重連(撮影:南正時)
「魔のトンネル」といわれた播但線生野トンネルを抜け出したC57形(撮影:南正時)
播但線生野トンネルを抜けてきたDD54形牽引の列車(撮影:南正時)
木次線の三段スイッチバックを行くキハ120形(撮影:南正時)
木次線の出雲坂根駅(撮影:南正時)
四国山地を越える土讃線、キハ181系の特急「南風」(撮影:南正時)
田川線の油須原越えに挑む9600形(撮影:南正時)
ループ線で知られた山野線(撮影:南正時)
豊肥本線の三段スイッチバックを行く9600形牽引の列車(撮影:南正時)
豊肥本線立野付近を走る8620形牽引の「あそBOY」(撮影:南正時)
ループとスイッチバックの大畑駅。キハ58系の急行列車が走る(撮影:南正時)
ループ線とスイッチバックを併せ持つ大畑駅(撮影:南正時)
大畑駅付近を走る急行列車(撮影:南正時)
肥薩線の真幸駅も大規模なスイッチバックがある(撮影:南正時)
肥薩線の最高地点は矢岳駅だ(撮影:南正時)
吉松駅の名物だった「汽笛まんじゅう」(撮影:南正時)
吉松駅の名物だった「汽笛まんじゅう」(撮影:南正時)
日豊本線のサミット、青井岳へ向けて走るC57形牽引の急行「日南3号」=1974年(撮影:南正時)
かつて碓氷峠で使われていたアプト式は大井川鉄道井川線に存在する(撮影:南正時)
アプト式で90‰の勾配を上る大井川鉄道井川線(撮影:南正時)
黎明期の鉄道は、都市間を結ぶだけでなく「船につなぐ輸送手段」として、鉱山や山林などのある内陸部と港…