非連続性の経営――グローバル化の本質 楠木 建 一橋大学大学院国際企業戦略研究科 教授

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点景その2:多様性

グローバル化が難しい理由として、英語と並び称されるのが「多様性」の問題だ。言葉の問題が何とかなったとしても、違った国に出ていくと、日本のなかでのやり方がそのまま通用するわけではない。経営が直面する多様性は増大する。「ダイバーシティ」とか「クロスカルチュラル・マネジメント」が注目されるという成り行きだ。異なる文化、人種、性別、宗教などの多様性を受け入れれば、それはむしろモノカルチャーの経営に比べてより幅広く柔軟なアイディアを取り込み、経営に生かしていくことができる。ダイバーシティという言葉には、こうした積極的な意味合いがある。

ただし、「多様性」にはトリッキーな面がある。このところの「ダイバーシティが大切だ!」という掛け声にしても、ともかく多様性を受け入れることそれ自体が目的になってしまっているフシがある。「英語力」と同じように、点景に注目しすぎると全体像が見えなくなってしまう。

企業のなかに多様性を取り込めば、それで何か良いことが次々に起きるかのような安直な議論が横行している。しかし、多様性それ自体からは何も生まれない。多様な人々や活動を1つの目的なり成果に向けてまとめ上げなければ意味がない。要するに、多様性の先にある「統合」に経営の本領がある。経営の優劣は多様性の多寡によってではなく、一義的には統合の質によって左右される。「ダイバーシティが大切だ!」という話をよく聞くと、経営にとって肝心要の統合についての理解が割と浅薄なことが多い。多様性は良いにしても、その統合となると「グローバル・スタンダード」という空疎なテンプレートに寄りかかってしまう。

統合の仕組みは経営そのものであり、独自の価値創造の根幹を支えるものの1つだ。これからはグローバル化だ、多様性だといって、これまで培ってきたその企業なりの統合の仕方を全部ご破算にして(本当はそんなことは絶対にできないのだが)「グローバル・スタンダード」に移行してしまえば、元も子もない。経営の自己否定といってもよい。

「英語」と「多様性」、この2つは確かに大切な要素だが、グローバル化の全体像の点景にすぎない。目を引くからといって点景に接近しすぎてしまうと、全体の眺望が見えなくなる。

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