非連続性の経営――グローバル化の本質 楠木 建 一橋大学大学院国際企業戦略研究科 教授
点景その1:英語
グローバル化が日本企業の経営にとって重要なのは間違いない。どこの企業の人と話をしても、このところ決まってグローバル化への対応が話題になる。とにもかくにも「グローバル化」が重要で大切で核心で必須で不可欠で時代の趨勢、避けて通れませんよ! という話だ。
ここに落とし穴がある。事の本質を押さえずに「グローバル化!」の掛け声に飲み込まれてジタバタするとロクなことにならない。点景に接近しすぎるあまり、全体像が見えなくなってしまう。全体像が見えなければ、有効な手も打てない。
グローバル化が難しい最もあからさまな理由は「言語」にある。要するに英語の壁だ。「これからは英語!」「英語のスキルが不可欠!」、このところひっきりなしに叫ばれている(昔からそうだったが、いよいよ最近は本格化してきた)。何といっても言葉の違いは大きい。逆にいえば、言葉さえ通じれば何とかなる。もし世界中の人がなぜか日本語を使っている(もしくは、使おうと思ったら使える)としたらどうだろうか。ずいぶん気楽な世の中になるはずだ。「英語」はグローバル化のツボの1つであることは間違いない。
成り行き上たまたま母国語が世界共通語になった米国人や英国人は幸運としか言いようがない。昔から「英国の最も競争力のある輸出品は英語だ」と言う。英語と似た構造を持ち、アルファベットを使う言語を母国語に持つ人もまずまず幸運だ。それに比べて日本語はもうどうしようもない。でも、愚痴を言ってもしかたがない。不運は努力で克服するしかないのが世の定めだ。とりあえず英語でコミュニケーションできるようになるしかない。
ところが、そう言うといきなり「英語力」という話になってしまう。この飛躍が曲者だ。手段が目的化してしまう。言葉としての英語そのものの質はあくまでも二次的な問題だ。それなのに、まじめな人々は「英語力」の目標を高すぎるところに設定して、いらぬ苦労をしたり、勝手に不安になったりする。
グローバル化が求めるコミュニケーションスキルは、英語力ではない。文字どおりコミュニケーションそのもののスキルがあればよい。ブロークンな英語でまったく構わない。コミュニケーションがうまくいくこと、一緒に仕事ができることが目的なのであって、意思と気持ちが通じればそれでよい。
個人的な経験で話そう。筆者が所属する一橋大学大学院国際企業戦略研究科(以下、長いので「ICS」と省略)のMBAプログラムでは、すべての講義を英語で行う。筆者はアフリカで育ったこともあって、相対的に外国語に親しむ幼少期を過ごしたのだが、小学校の高学年からはずっと日本で暮らしてきた。英語がペラペラでも何でもない。
12年前にICSに来て、英語で講義をやり始めてみると、日本語で教えるのと比べてずいぶん疲れた(今でもそうだが)。それでも相手に理解させることはできるし、何とかコミュニケーションも取れる。もちろん、英語がもっと上手になるに越したことはない。しかし、どうも英語のセンスが自分にあまりないらしいことがわかってきたので、英語レベルを上げるための特段の努力はいっさいしないようにしている。
ICSのMBAプログラムには、20カ国以上から生徒が集まってくる。米国人など英語がネイティブな人もいるが、割合としてはアジア出身者がずっと多い。ICSの学生の80%は母国語が英語ではない。かつては、ビジネスで英語をしゃべっている人はそもそも英語圏の人が多かった。ところがグローバル化が進み、現在その割合はずっと小さい。そもそも母国語が英語でない人が、業務上英語を使っていることが多いのが実態だ。そうなると、お互いに配慮しつつ、何とか意思疎通を図っていく、そういうコミュニケーションが当たり前になる。ICSの教室はグローバル化したビジネス社会の縮図になっている。
日本人の英語に対する構えはいかにも過剰だ。いきなりネイティブの英会話の講師が使うような、「こなれた英語」がモデルになってしまう。めざすべきモデルは少し違うところにある。ICSの同僚の日本人にも、とにかく英語が上手な人がいる。洗練された英語を実に流暢にしゃべる。うらやましく思っているのだが、初めからこういう人をめざしても、どうしようもない。自分で英語のハードルを上げてしまい、かえって英語がイヤになる。
筆者が英語でのコミュニケーションという点でモデルにしているICSの先輩教授がいる。米国で学位を取り、その後はコンサルティングの世界でグローバルに活躍した人で、経歴からしてさぞかし英語が上手そうに見える。しかし、彼の英語での講義を初めて聞いて軽く驚いた。独特のクセがある発音で、文法も割と不正確。ただし、そんなことはいっさい気にせずよくしゃべる。この教授のように、英語が必ずしも流麗でなくても、英語でのコミュニケーションが上手な人がいるものだ。そういう人は、面白いことに、日本語で話しているときと英語で話しているときとで、受ける印象にまったく違いがない。英語でも日本語でも、同じ自分のスタイルでコミュニケーションをしているということがよくわかる。英語そのもののスキルよりも、コミュニケーションの内容、姿勢、スタイルがものをいう。
大切なことは、「英語がそれほど上手でもないのにコミュニケーションはすごい人」を見つけてよくよく観察することだ。英語ではなく、その人のコミュニケーションの仕方を観察して、まねて、学ぶ。これが英語でのコミュニケーション力をつける王道だと思う。