「不確実性の世界」を生き抜く上での、
ビジネス・インテリジェンスの重要性
邉見 伸弘(デロイト トーマツ コンサルティング
国際ビジネス インテリジェンス リーダー)
③「原典にあたる」
駆け出しの20代で、経済外交に従事していた頃、口を酸っぱくして言われたことが、この「原典にあたる」ということだった。法律論が出てくれば、その議事録を数巡前までさかのぼり、法律の原文にあたる。経済統計が発表されたと新聞報道されれば、もとのデータまで書庫に向かって調べに行く。国際経済統計であればIMFのデータを調べに行く、といったことだ。
これは新聞を読む際だけでなく、日々の報告を受ける際、判断を下す際にも最も注意を払っていることだ。ある一定の思い込みを仮説と称して、二次情報である新聞記事で補強するという資料を目にすることがある。これは分析とはいわない。データや統計を見るクセをつけると、「本当にそうなのか」「何を根拠に言っているのか」といった適切な質問は分析に不可欠だ。何より、原典にあたっていれば、ブレも少なくなる。
「原典にあたる」という視点は、「変わらないものは何か、本質をいかに見極めるか」ということにも通じる。国際情勢や経営環境の激変が叫ばれ、メガトレンドもブームだ。重要なのは表層の変化に一喜一憂することではない。洞察力に富む分析は、事象の潮流・底流に触れている。毀誉褒貶の激しい政治や株価動向等は追わないものだ。人口動態など、一見地道であるが、確実に社会にインパクトを与えるような指標を見ていくことが近道となる。
④「情報ソースのクセを読み取る」
新聞を読むと、記者の署名入りの記事がある。一般記事は読み流してしまう場合が多いが、署名入り記事は情報ソースのクセを読む上でポイントになる。特徴のある記事を見つけた場合、ないしは自らが追っているテーマがある場合は、関連する記者の名前をメモしておくことだ。
NewsPicks等、ある情報に対して専門家等がコメントを集中していくアプリケーションもあるが、情報収集のプロであるジャーナリストのクセを読むことも重要だ。過去に書かれた記事を調べていくことで、記者の報道スタンスがわかってくるし、精度が検証できる。考え方のクセをつかむことで、情報の「質」の精度を上げる訓練をしていくのだ。
個人の場合であれば、つきあう上司や部下のクセや空気を読みながら、価値判断を行い、意思決定をするものだ。「文字情報」や「統計情報」についてもクセがついていると考えれば見方も変わってくるはずだ。
⑤「歴史観(超長期)に照らして読み直す」
「過去に盲目である者は、未来に対しても盲目である」とはドイツのワイツゼッカー元大統領の言葉であるが、過去の歴史を学ぶことは何も政治外交だけの話ではない。技術が進展しても、人間や社会を洞察していく上で、歴史から学ぶ視点は多い。
超長期で見る、というのは、リベラルアーツ力の強化といってもよい。大学時代に使った教科書や、場合によっては高校時代の歴史の教科書を手元に置き、検証していくことだ。理論的なバックグラウンドをあらためて確認するだけでなく、アナロジー(類似性)を検証する上での有効なツールになることが多い。
たとえば、山川出版社の世界史の教科書などを使ってみると、そこには、インテリジェンスの基礎となる情報がたくさん詰まっている。「Why?」に答える中身や、巻末の年表を見ると、地政学の連携や時系列でモノを見ることの意味がわかる。
⑥「手書きでアウトプットする」
最後に、アウトプットをしていくことの重要性だ。これは、綺麗な論文にまとめなくてもよい。手書きのメモを付箋紙に書き出し、ノートに貼りつけていくだけでもよい。たまってきたら、各事象の因果関係を結びつけていくとよい。そうすると情報を構造的に読むクセが身についてくる。できれば、新聞をはじめ何かの情報ソースに引っかかった際は、感想やコメントをつけておくとよい。それが自分自身の見解のベースになる。メモを取ることの大事さ、それは新聞記者など、「書くこと」を業としている人だけの話ではない。
組織におけるインテリジェンス:情報入手とコストについて
インターネットをはじめとし、ニュースは即時的かつほぼタダで入手できるようになった。だからこそ、情報の「質」そのものが重要になってくる。質を上げるためには、情報への投資を怠ってはいけない。
よく言われる話だが、他人からもらった本はあまり読まないが、身銭を切った本には目を通すものだ。それはビジネスパーソンや組織レベルでも同様だ。身銭も切らず、努力もせずに、タダで手にした、ありふれた情報だけで勝負しようとしたり、「何か持って行けるネタはないか」では駄目だ。継続的に投資をしていく必要がある。
情報入手にはお金をかけることだ。また企業サイドも情報はタダみたいに思っているとしたら大間違い。情報は製品のように形として目には見えないが、製品と同様に、否、時には製品以上に有価値的存在でもある。社運、国運、死命を決する場合もある。ゆえに情報入手にはそれ相当のコストをかけるべきだ。その意識を持つことである。
毎朝手にする新聞。日本では料金が一部150円前後でほぼ固定されている。他方、英国の『フィナンシャル・タイムズ』。こちらは一部600円と約4倍だ。中身を見ると、速報よりも解説記事が多いことに気づく。世界のクオリティペーパーとして、多くのビジネスパーソンが文庫本並みのお金を払って、この新聞を買う。つまり情報入手にお金をかけているのだ。
経済新聞もろくろく読まないで、「耳情報」こそすべてとばかりに、ただ人と会うことのみをもっぱら説く経営者やコンサルタントもいる。そのような人たちは時間とともに退場していった。今後もそうだろう。
もちろん、人と会うことは大事であるが、それだけでは限界がある。深みのある情報はつかめない。事前にどれだけインプットできるかが、実際に「会った瞬間」を価値あるものにできる。人と会うときはその情報の精度や鮮度を検証するという姿勢が必要だ。そもそも、こちら側に発信すべき情報がなく、また情報を引き出す力もなく、ただ話を聞かせてくださいという受け身の姿勢だけでは、先方も真に価値ある情報を伝えてはくれない。
一方、説得力がある、話の中身が濃い、といわれる諸子や名経営者といわれる人のかばんには常に本が数冊入っているものだ。「本を読まなくなったら使いモノにならなくなる」「若いときは、給料の1割ぐらいは本代に充てよ」とは、よく聞かされた話だ。
個人におけるインテリジェンスは長期目線で投資すべき話だ。これは組織においても同様だ。情報代をいくら払ったからKPI(投資効果)を短期的に測定しようとする動きも散見される。しかしながら、歴史を振り返れば、情報戦に徹底して長期投資をした組織が勝ち抜いている。米国の情報技術ももとは徹底した軍事/諜報機関やベル研究所等の投資が背景となっている。シナリオプランニングを開発したシェルのケースも有名だ。日本企業が世界のなかで勝ち残れるかどうかは、個人や組織におけるインテリジェンス力強化にかかっているといっても過言ではない。