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なぜ好きな人が多い…? 日本人が「ゴッホの絵」とその物語に熱狂する理由 日本で初めて紹介されたのは文学同人誌だった――

日本人はなぜ「ゴッホの絵」とその物語に熱狂するのか(編集部撮影)
療養のためサン=レミに滞在していた1889年の秋、ゴッホが最も情熱を注いだテーマはオリーブ園だったフィンセント・ファン・ゴッホ《オリーブ園》1889年11月、油彩・カンヴァス、73.2×92.2cm、ファン・ゴッホ美術館(アムステルダム)(フィンセント・ファン・ゴッホ財団) 出品:「ゴッホ展 家族がつないだ画家の夢」東京都美術館
手紙に記された言葉から、制作に対する決意や迷い、友人への率直な意見が伝わってくる。手紙はめったに公開されないので貴重な機会である「傘を持つ老人の後ろ姿が描かれたアントン・ファン・ラッパルト宛ての手紙」1882年9月23日頃、ペン・インク/紙、約21.2×26.8cm、所蔵:ファン・ゴッホ美術館(アムステルダム)(フィンセント・ファン・ゴッホ財団) 出品:「ゴッホ展 家族がつないだ画家の夢」東京都美術館
ゴッホは、サント=マリーのある地中海の海について、刻々と色が変化するため「サバのような色だ」と手紙に書き記しているフィンセント・ファン・ゴッホ《浜辺の漁船、サント=マリー=ド=ラ=メールにて》 1888年6月、油彩・カンヴァス、65×81.5cm、ファン・ゴッホ美術館(アムステルダム)(フィンセント・ファン・ゴッホ財団) 出品:「ゴッホ展 家族がつないだ画家の夢」東京都美術館
ゴッホは、農民画で知られるミレーの《種まく人》を早くから模写していた。この主題を自ら描くことは、彼にとって長年の大きな願いでもあったフィンセント・ファン・ゴッホ 《種まく人》 1888年11月、油彩・カンヴァス、32.5×40.3cm、ファン・ゴッホ美術館(アムステルダム)(フィンセント・ファン・ゴッホ財団) 出品:「ゴッホ展 家族がつないだ画家の夢」東京都美術館
ヨーは、ゴッホに初めて会ったときの印象を、この自画像によく似て、健康的で毅然とした様子と回想している。一方ゴッホは、死に神の顔かもしれないと、全く別の感想を残した《画家としての自画像》1887年12月~1888年2月、油彩・カンヴァス、65.1×50.0cm、ファン・ゴッホ美術館(アムステルダム)(フィンセント・ファン・ゴッホ財団) 出品:「ゴッホ展 家族がつないだ画家の夢」東京都美術館
架空のアトリエに、ゴッホの作品やモチーフが複数置かれている。架空の画家を設定し、その画家に描かせるという絵画制作を方法論とする作者は、ゴッホとの対話を重ねている桑久保徹《フィンセント・ヴィレム・ファン・ゴッホのスタジオ》2015年、油彩・カンヴァス、181.8×227.3cm、所蔵:個人蔵 © Toru Kuwakubo, Courtesy of Tomio Koyama Gallery 出品:展覧会「ゴッホ・インパクト─生成する情熱」ポーラ美術館 (Photo: Ken Kato 提供:ポーラ美術館)
ゴッホがサン=レミの療養所で治療を受けていた頃の作と考えられている。農村や自然の中へ再び歩み出し、絵を描くことへの弾むような喜びが感じられるフィンセント・ファン・ゴッホ《木底の革靴》1889年秋、油彩・カンヴァス、32.2×40.5cm、ファン・ゴッホ美術館(アムステルダム)(フィンセント・ファン・ゴッホ財団) 出品:「ゴッホ展 家族がつないだ画家の夢」東京都美術館
2025~26年は“ゴッホ・イヤー”にふさわしく、ファン・ゴッホの展覧会が目白押しだ。ファン・ゴッホ家が…