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東武の独立路線「カメが走った」熊谷線の軌跡

野焼き後の田んぼの中を行く東武熊谷線のディーゼルカー、キハ2000形(写真提供:熊谷市)
福川にかかる東武橋上を行く熊谷線のキハ2000形。統括制御が可能で朝夕の混雑時は2両編成で運転された(写真提供:熊谷市)
キハ2000形は東武鉄道初の自社発注ディーゼルカーだった。東急車輌製で当時の最新鋭の性能を持ち合わせていた(写真提供:熊谷市)
廃止直前の1983年5月21日から31日まで、車両には「さよなら熊谷線」のヘッドマークが掲げられた(写真提供:熊谷市)
28号蒸気機関車とディーゼルカー。新旧「カメ号」のそろい踏み(写真提供:熊谷市)
上熊谷駅付近の跨線橋より。2017年撮影時(上)には高崎線のすぐ左に熊谷線のレールが残っていたが、現在(下)は撤去されている。2019年の高崎線の架線柱更新工事の際に撤去された(筆者撮影)
築堤上を走り、高崎線をオーバークロスする熊谷線。勾配はきつく、蒸気機関車時代は馬力が足りず、ノロノロになったという(写真提供:熊谷市)
1982~1983年頃の大幡駅ホーム。軍需路線として建設されたため、ほとんどが直線区間(写真出典:PAYLESSIMAGES)
「東武」と刻まれた境界杭が、ここが鉄路であったことの唯一の名残だ(筆者撮影)
終点の妻沼駅舎。「熊谷線廃線反対」の看板が組合により立てられている(写真出典:PAYLESSIMAGES)
妻沼展示館に保存されているキハ2002号車。当時流行した前方2枚窓の「湘南スタイル」や、側面窓に上段Hゴム固定の「バス窓」などが採用されている(筆者撮影)
昭和29(1954)年東急車輌製造の銘板(筆者撮影)
キハ2002号車運転席(筆者撮影)
昭和を感じさせる車内には、クロスシートとロングシートが設置されている(筆者撮影)
実現せずに終わった延伸計画の跡。利根川北岸の堤外に1基だけポツンと残された橋脚(筆者撮影)
「いずみ総合公園」内の案内板より。熊谷線は、ついに利根川を越えることはなかった(筆者撮影)
2024年は東武東上線が開業してから110周年だという。東上線は、東武鉄道とは別会社の東上鉄道として開業…