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25年で激変した「香港」中国返還前の乗り物の姿

九龍バス(KMB)の非冷房2階建てバス。コニカの広告車だ(筆者撮影)
KMBの冷房付きバス。本来は白に赤ラインだったが広告付きで上側が青い(筆者撮影)
ピークトラム(ケーブルカー)乗り場行きのオープントップバス(筆者撮影)
旧CMBバス路線の引き継ぎ役も担ったNWFBのバス。香港島セントラルにて(筆者撮影)
香港名物の2階建て路面電車(トラム)(筆者撮影)
2階の一部がオープンになった観光用トラム28号(筆者撮影)
2階の一部がオープンになった観光用トラム28号(筆者撮影)
「直接制御」だった時代のトラムの運転台(筆者撮影)
改装後のトラムの運転台=1998年(筆者撮影)
英国メトロキャメル製のMTR荃灣線電車=1986年(筆者撮影)
MTR荃灣線の旺角駅=1986年(筆者撮影)
ホームには行き先を示すソラリー社製「パタパタ」があった=1985年(筆者撮影)
ビクトリアピークへの「ピークトラム」(ケーブルカー)=1995年(筆者撮影)
1989年導入のエンジ色をしたピークトラムの車両=1995年(筆者撮影)
ピークトラムの駅上から見下ろした香港の街=1995年(筆者撮影)
中国本土と香港を結ぶ「直通車」。中国国鉄のDF11形が牽引する編成だ=1997年5月(筆者撮影)
ホンハム駅に改名前の「九龍総駅」の入口=1997年5月(筆者撮影)
「直通車」改札はパスポート検査場に繋がっている=1997年5月(筆者撮影)
当時の啓徳空港は市街地にあり旅客機は低空飛行していた。キャセイパシフィックの旅客機=1994年(筆者撮影)
啓徳空港は着陸時の滑走路到達直前、120度右に曲がるルートが強要された=1994年(筆者撮影)
啓徳空港に着陸するエールフランス機=1994年(筆者撮影)
1996年まで使われた佐敦道フェリー埠頭。現在は周辺が埋め立てられMTRの駅になった=1992年(筆者撮影)
海底トンネルのキャパシティが足りず、自動車輸送用のフェリーもあった=1992年(筆者撮影)
香港島セントラルと尖沙咀東部との快速旅客便として使われていたホバークラフト=1992年(筆者撮影)
郊外ベッドタウンへの高速移動サービスに使われたホバークラフト=1992年(筆者撮影)
広東省内の道路網が未整備だった1990年代には広州などへの夜行フェリーがあった=1992年(筆者撮影)
香港島セントラルにあった公衆埠頭。プライベートクルーズや小船の停泊に使われていた=1992年(筆者撮影)
郊外の街に向けて出ていた客船。今なら高速道路網を走るバスで行き来が可能だ=1992年(筆者撮影)
香港2階建て路面電車
KCR電車改造前
香港MTR昔の路線図
中華バス
1997年の香港トラム
香港に行ったら必ず乗りたい香港島への渡し船「スターフェリー」=1997年(筆者撮影)
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かつてイギリスの植民地だった香港は今年7月1日、1997年の中国返還から25年の節目を迎えた。おりしもコロ…
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