藤沢の軍都化
1937年、日中戦争が始まると、日本軍は中国の主要都市を占領していく。
各地で戦勝を祝う旗行列・提灯(ちょうちん)行列が展開されるが、藤沢も御多分に漏れない。上海や首都南京の陥落を祝う、全町民に開かれた提灯行列は、辻堂駅前をスタートして、東海道を歩き、藤沢駅前で解散するルートで行われた(『横浜貿易新報』10月31日付、12月9日付)。
辻堂地域はさらに軍都化していく。38年に関東特殊製鋼の工場・本社が辻堂駅北口(現・テラスモール湘南)に移転し、40年には国家総動員法に基づく海軍管理工場の指定を受けて、軍需品を生産し始める。市内各所に軍需工場が置かれて人口が増加するなかで、同年藤沢町は市制を施行する。
かつて辻堂駅開設時に、駅設置運動の中心人物・桜井兵四郎は、「駅できて きつねたちのく 月夜かな」と、即興の句を読んだ。きつねがいるほどの未開発の田園にできた駅は、開駅当初こそ一日平均利用人数は225人にすぎなかったが、45年には3501人に達する。


※ログイン後、コメント入力が可能です。