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北海道から九州まで「ローカル私鉄気動車」の記憶

雪降る野辺地駅にたたずむ南部縦貫鉄道のレールバス(撮影:南正時)
昔のバスそっくりの丸っこい車体が特徴の南部縦貫鉄道のレールバス(撮影:南正時)
現役時代の南部縦貫鉄道レールバスの車内。ローカル線らしい光景だった(撮影:南正時)
桜咲く春、岩手開発鉄道のキハ301が走る(撮影:南正時)
岩手開発鉄道のキハ301は元夕張鉄道の車両だった(撮影:南正時)
岩手開発鉄道のキハ202は平面的な前面が特徴で「食パン」と呼ばれた(撮影:南正時)
山あいを走る岩手開発鉄道のキハ202(撮影:南正時)
岩手開発鉄道のキハ301。桜咲くなか、通学の子どもたちが乗り込む(撮影:南正時)
恐山をバックに走る下北交通大畑線の気動車。同線は元国鉄大畑線を地元バス会社の下北交通が引き継いだ路線だった(撮影:南正時)
下北交通のキハ85形は元国鉄のキハ22形だ(撮影:南正時)
ススキがたなびく中を走る下北交通の気動車(撮影:南正時)
同和鉱業小坂鉄道(小坂製錬)のキハ2100形。同鉄道の旅客営業廃止後は弘南鉄道黒石線に転じた(撮影:南正時)
弘南鉄道黒石線を走るキハ22形。同線は元国鉄黒石線を地元の弘南鉄道が引き継いだ路線だった(撮影:南正時)
黒石線の前田屋敷付近。リンゴの木が青森県らしさを感じさせる(撮影:南正時)
小坂鉄道から黒石線に転じたキハ2100形。廃線まで使われた(撮影:南正時)
黒石線を走るキハ2100形(撮影:南正時)
岩木山をバックに走る津軽鉄道の気動車(撮影:南正時)
現在の津軽鉄道の主力、津軽21形(撮影:南正時)
筑波山をバックに走る筑波鉄道の気動車。同線は1987年春、国鉄と同時に姿を消した(撮影:南正時)
関東鉄道竜ケ崎線も旧型気動車が活躍していた(撮影:南正時)
現在の竜ケ崎線は近代的な気動車が活躍する(撮影:南正時)
鹿島鉄道のキハ430形。元は富山県の加越能鉄道加越線の車両だった(撮影:南正時)
鹿島鉄道のキハ430形。元は富山県の加越能鉄道加越線の車両だった(撮影:南正時)
鹿島鉄道のキハ600形。1937年製の元国鉄キハ07形という貴重な車両だった(撮影:南正時)
霞ヶ浦のほとりを走る鹿島鉄道のキハ430形とキハ600形の2両編成(撮影:南正時)
霞ヶ浦のほとりを走るキハ600形(撮影:南正時)
鹿島鉄道鉾田線の終点だった鉾田駅。キハ601が停車中(撮影:南正時)
鹿島鉄道鉾田線の起点、石岡駅に並ぶ車両たち。まるで模型のような光景だった(撮影:南正時)
近代的なKR500形と並んだキハ430形(撮影:南正時)
近代的なKR500形と並んだキハ430形(撮影:南正時)
日本初のステンレス製気動車だった茨城交通湊線(現・ひたちなか海浜鉄道)のケハ601(撮影:南正時)
茨城交通湊線(現・ひたちなか海浜鉄道)のキハ1103。元留萌鉄道の車両だった(撮影:南正時)
ひたちなか海浜鉄道のキハ22形。元羽幌炭礦鉄道の車両だった(撮影:南正時)
ひたちなか海浜鉄道のキハ2000形。元留萌鉄道の車両だった(撮影:南正時)
かつての国鉄急行気動車の塗装をまとったキハ2000形(撮影:南正時)
島原鉄道の「3本ヒゲ」塗装となったキハ2000形とキハ22形(撮影:南正時)
水島臨海鉄道からひたちなか海浜鉄道に転じたキハ20形(撮影:南正時)
小湊鉄道は同社オリジナルのキハ200形が活躍する。上総中野付近(撮影:南正時)
桜咲くなかを走る小湊鉄道のキハ200形(撮影:南正時)
車庫にずらりと並んだ小湊鉄道のキハ200形(撮影:南正時)
春の上総中野付近を走る小湊鉄道キハ200形(撮影:南正時)
小湊鉄道は都心から近いローカル線として鉄道ファンだけでなく観光客の人気を集める(撮影:南正時)
上総大久保駅に停車するキハ200形(撮影:南正時)
上総鶴舞駅に停車するキハ200形(撮影:南正時)
小湊鉄道のキハ5800形は電車を気動車に改造した車両だった(撮影:南正時)
軌間762mmの軽便鉄道だった尾小屋鉄道。雨の尾小屋駅にたたずむ気動車(撮影:南正時)
尾小屋鉄道で活躍した、車体の前後に荷台の付いた「バケットカー」キハ2(撮影:南正時)
尾小屋鉄道の新小松駅に停まるキハ2。ここは現在北陸新幹線のホームに当たる場所だ(撮影:南正時)
素掘りのトンネルを抜け出た尾小屋鉄道のキハ3。線路幅の狭さと車体の小ささがわかる(撮影:南正時)
「男はつらいよ」で寅さんが訪れた駅、金平駅に停車するキハ3(撮影:南正時)
小松の近郊を走る尾小屋鉄道のキハ3。現在ここは北陸新幹線が走っている(撮影:南正時)
保存されている尾小屋鉄道のキハ3(撮影:南正時)
電化私鉄の名古屋鉄道(名鉄)がローカル線の合理化策として導入したレールバスのキハ10形(撮影:南正時)
名鉄八百津線を走るキハ10形。電化路線なので架線がある(撮影:南正時)
名鉄八百津線の八百津駅に停車するキハ10形(撮影:南正時)
加悦鉄道のキハ08は元国鉄の客車改造気動車。同鉄道の晩年まで活躍した(撮影:南正時)
加悦鉄道のキハ08(撮影:南正時)
加悦駅の駅舎とキハ08(撮影:南正時)
加悦鉄道のキハ08は客車の面影を感じさせる車体が特徴的だった(撮影:南正時)
加悦鉄道のキハ101。片側がボギー台車、もう片方は1軸という「片ボギー」の車両だった(撮影:南正時)
兵庫県にあった別府鉄道のキハ2。荷台のある「バケットカー」だった(撮影:南正時)
別府鉄道の別府港駅。同鉄道は2軸客車が最後まで活躍したことで知られた。右の気動車キハ101は同和鉱業片上鉄道から移籍した車両だった(撮影:南正時)
有田鉄道のキハ58003は元富士急行の車両で、国鉄キハ58形の両運転台版といえる車両だった(撮影:南正時)
有田鉄道線は紀勢本線の藤波駅から金屋口駅まで5.6kmを結ぶ小さな鉄道だった(撮影:南正時)
有田鉄道のキハ58(右)とキハ07(撮影:南正時)
晩年の有田鉄道線は元樽見鉄道のレールバス、ハイモ180形で運行していた(撮影:南正時)
全長2.7kmのミニ鉄道として知られる紀州鉄道。長年主力として活躍したキハ600形(撮影:南正時)
紀州鉄道の主力だったキハ600形は元大分交通耶馬渓線の車両だった(撮影:南正時)
西御坊駅に停車するキハ600形(撮影:南正時)
のんびり走るキハ600形の車内(撮影:南正時)
紀州鉄道のキハ16。かつての長大非電化私鉄、江若鉄道(滋賀県)の車両だった(撮影:南正時)
1984年に廃止された岡山臨港鉄道。小柄なキハ1003は後に紀州鉄道に転じた(撮影:南正時)
岡山臨港鉄道のキハ1003(撮影:南正時)
岡山臨港鉄道のキハ5002はかつての長大非電化私鉄、江若鉄道(滋賀県)の車両だった(撮影:南正時)
宇野線との接続駅、大元駅に停車する岡山臨港鉄道のキハ5002(撮影:南正時)
同和鉱業片上鉄道のキハ312。鉱山鉄道らしい風景の終点・柵原駅に停車中(撮影:南正時)
和気付近を走る同和鉱業片上鉄道のキハ312。同鉄道オリジナルの車両だった(撮影:南正時)
同和鉱業片上鉄道の廃線時まで活躍した最古参のキハ303。和気駅に停車中の姿(撮影:南正時)
保存されているキハ312(撮影:南正時)
保存されているキハ303(撮影:南正時)
同和鉱業片上鉄道のキハ702(撮影:南正時)
キハ702も保存されている(撮影:南正時)
水島臨海鉄道は近年までキハ20形が活躍していた(撮影:南正時)
水島臨海鉄道のキハ20形(撮影:南正時)
キハ20形の前の主力は元国鉄10系気動車のキハ35形だった(撮影:南正時)
水島臨海鉄道で活躍した元国鉄キハ04形のキハ311。1974年に引退した(撮影:南正時)
水島臨海鉄道で活躍した元国鉄キハ04形のキハ311。1974年に引退した(撮影:南正時)
軌間762mmの軽便鉄道だった井笠鉄道(岡山県)の気動車、ホジ9。荷台の付いた「バケットカー」だ(撮影:南正時)
井笠鉄道から下津井電鉄(岡山県・廃線)に転じたホジ3(撮影:南正時)
島原鉄道のキハ4500形は国鉄キハ17形がベースながら「湘南顔」のオリジナル車両だった(撮影:南正時)
国鉄直通急行用として島原鉄道が導入したキハ55形。同線のスターだった(撮影:南正時)
島原鉄道で長らく主力として活躍したキハ20形(撮影:南正時)
普賢岳を背景に走る島原鉄道のキハ20形。この区間は2008年に廃線となってしまった(撮影:南正時)
普賢岳を背景に走る島原鉄道のキハ20形トロッコ列車(撮影:南正時)
夏の日差しに照らされて車庫にたたずむ鹿児島交通枕崎線のキハ100形(撮影:南正時)
鹿児島交通枕崎線は南国のローカル線らしさが感じられる路線だった。枕崎駅に停車するキハ103(撮影:南正時)
国鉄線の西鹿児島(現・鹿児島中央)乗り入れ用として国鉄キハ10系に準じた構造で造られたキハ300形(撮影:南正時)
夏の日差しを浴びた加世田駅で交換するキハ100形とキハ300形(撮影:南正時)
筆者は昭和40年代後半から50年代にかけて、全国のローカル私鉄をくまなく訪れた。中でもとくに魅せられた…