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愛嬌ある「団子鼻」が目印、元祖新幹線0系の記憶

富士山をバックに走る国鉄時代の新幹線0系(撮影:南正時)
愛嬌のある「団子鼻」の先頭部(撮影:南正時)
菊川の茶畑を疾走する0系。客室の窓が大型の初期型だ(撮影:南正時)
掛川付近を走る0系(撮影:南正時)
東海道新幹線試作車1000形のA編成(右)と速度記録を達成したB編成(国鉄広報写真・南正時所蔵)
筆者が初めて撮影した新幹線。米原付近で試運転中の姿=1964年6月(撮影:南正時)
東京駅に停車中の0系。後ろに見えるのは八重洲口だ=1965年8月(撮影:南正時)
東京駅での見送り風景=1965年8月(撮影:南正時)
0系の運転台(撮影:南正時)
0系普通車の車内。グレーと青の転換クロスシートが並んでいた(撮影:南正時)
0系普通車の車内(撮影:南正時)
背もたれを倒して向きを変える(撮影:南正時)
車内にあった冷水器。無料で水が飲めた(撮影:南正時)
車掌室の内部(撮影:南正時)
車内の公衆電話(撮影:南正時)
車内の洗面台(撮影:南正時)
軽食などを提供したビュフェ。中央奥の壁に速度計が見える(撮影:南正時)
ビュフェの壁にあった速度計。時速200kmちょっと手前で走行中(撮影:南正時)
デビュー時の0系食堂車。当初は通路との仕切り壁(右)に窓がなかった(撮影:南正時)
登場時の食堂車での食事風景。テーブルは4人用と2人用があった(撮影:南正時)
通路との仕切り壁(左)に窓を設けた改装後の食堂車。食事中に富士山を見られるようにするのが目的だったため「マウント富士」改造などと呼ばれた(撮影:南正時)
帝国ホテル列車食堂のスタッフ。食堂車は一流ホテルなどの業者が味を競った(撮影:南正時)
山陽新幹線博多開業5周年の記念列車=1980年(撮影:南正時)
東京駅を発車し西へと向かう0系(撮影:南正時)
高速道路と並走。走る車にも時代を感じる(撮影:南正時)
有楽町付近を走る0系(撮影:南正時)
有楽町付近ですれ違う0系。後ろに京浜東北線の103系も見える(撮影:南正時)
西へ向かって疾走する大窓の0系(撮影:南正時)
夕暮れの吉原付近、製紙工場の煙を横目に0系が走る(撮影:南正時)
富士山をバックに快走する0系(撮影:南正時)
菜の花畑が広がる中、富士山を背景に走る0系(撮影:南正時)
新富士付近、一面に広がる花畑と0系(撮影:南正時)
掛川付近を走る16両編成の0系(撮影:南正時)
浜名湖上を駆ける国鉄時代の0系(撮影:南正時)
JR発足直後、浜名湖上を駆ける0系(撮影:南正時)
関ヶ原を行く0系(撮影:南正時)
トンネルに突入する0系=米原―岐阜羽島間(撮影:南正時)
関ヶ原トンネルを飛び出した0系(撮影:南正時)
関ヶ原を駆ける0系。宵の明星とパンタグラフのスパークの光跡が輝く=1982年(撮影:南正時)
冬の米原駅、消雪用のスプリンクラーが舞う中を駆け抜ける(撮影:南正時)
米原付近を走る0系と381系特急「しなの」(撮影:南正時)
伊吹山麓を疾走する国鉄時代の0系(撮影:南正時)
伊吹山をバックにすれ違うJRマーク付きの0系(撮影:南正時)
春の伊吹山麓を走る0系(撮影:南正時)
JRの発足直後、京都駅を発車する0系(撮影:南正時)
山陽新幹線・吉井川を渡る0系(撮影:南正時)
浜松工場で検査中の0系(撮影:南正時)
浜松工場で検査中の0系。クレーンで「空を飛ぶ」光景(撮影:南正時)
大井車両基地で顔を並べた0系(撮影:南正時)
品川の東京第一運転所(撮影:南正時)
東京第一運転所に並んだ0系K41・K42編成(撮影:南正時)
JR西日本が1988年から運行を開始した「ウエストひかり」の0系。車内はシートを2+2配列とし、外観は窓回りの青帯に細いラインを加えた(撮影:南正時)
「ウエストひかり」0系の車内(撮影:南正時)
700系「ひかりレールスター」に追い抜かれる0系(撮影:南正時)
大井車両基地での300系報道公開時の1コマ。300系・100系と0系が顔を並べた(撮影:南正時)
大井車両基地にて(左から)300系・100系と並んだ0系(撮影:南正時)
去り行く0系と新たな主力となった300系。東海道新幹線からは1999年に引退した=有楽町付近(撮影:南正時)
現在の「ドクターイエロー」の先輩、922形は0系をベースに開発された(撮影:南正時)
神田の交通博物館(2006年閉館)に展示されていた0系の前頭部。現在は大宮の鉄道博物館にある(撮影:南正時)
0系は鉄道友の会「ブルーリボン賞」を受賞している(撮影:南正時)
2024年10月1日、東海道新幹線は開業から60年を迎えた。その歴史を振り返る動きの中、初代の新幹線電車0系…