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キャリア・教育

秀吉相手に「まさかの落城」北条氏の《難攻不落の城》があっさりと攻め落とされた"致命的な盲点"

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沼津・長浜城跡(写真:Seri / PIXTA)
  • 真山 知幸 伝記作家、偉人研究家、芸術修士(MFA)

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まもなく9月の連休シルバーウイークがやってきますが、もし特に予定が決まっていなければ、城巡りをしてみてはいかがでしょうか。天守閣や石垣など城の見所ポイントはさまざまですが、その城が持つ「変なポイント」に注目してみると、城がもっと身近に感じられて、その歴史も含めて楽しめるはず。著述家の真山知幸氏の新著『ウソみたいだけど本当にあった へんな城』から一部抜粋・再構成し、「城の備えが変な城」をいくつか紹介します。

防御力が高いのに落城「長浜城」

もうこうなったら覚悟を決めて「背水の陣」で挑もう――。

中国・前漢の時代でのことである。武将の韓信が趙の国と戦った際に、あえて川を背に陣を敷いた。そうすることで後に引けない状況をつくり、決死の覚悟で攻め込んだところ、大勝利を収めたという。そんな逸話から「一歩も引けない状況で決死の覚悟で事にあたる」ことを背水の陣と呼ぶようになった。

伊豆の長浜城は、まさに背水の陣を城に体現したような場所だった。背後どころか、三方向を海に囲まれているのである。韓信のように、退路を断つことで守りを固めた城。それが長浜城である。

ちなみに、豊臣秀吉が近江国(滋賀県)に築いた城と同名だが、今回取り上げるのは、伊豆半島に存在した、まったく別の「長浜城」である。はたして背水の陣を敷いた結果、どうなったのか。

永禄3(1560)年、桶狭間の戦いで今川義元が織田信長にまさかの敗北を喫すると、今川は衰退。徳川・武田・北条が今川領への進入を開始する。駿河(静岡県)をめぐって、武田と北条は幾度となく衝突することとなった。

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