防御力が高いのに落城「長浜城」
もうこうなったら覚悟を決めて「背水の陣」で挑もう――。
中国・前漢の時代でのことである。武将の韓信が趙の国と戦った際に、あえて川を背に陣を敷いた。そうすることで後に引けない状況をつくり、決死の覚悟で攻め込んだところ、大勝利を収めたという。そんな逸話から「一歩も引けない状況で決死の覚悟で事にあたる」ことを背水の陣と呼ぶようになった。
伊豆の長浜城は、まさに背水の陣を城に体現したような場所だった。背後どころか、三方向を海に囲まれているのである。韓信のように、退路を断つことで守りを固めた城。それが長浜城である。
ちなみに、豊臣秀吉が近江国(滋賀県)に築いた城と同名だが、今回取り上げるのは、伊豆半島に存在した、まったく別の「長浜城」である。はたして背水の陣を敷いた結果、どうなったのか。
永禄3(1560)年、桶狭間の戦いで今川義元が織田信長にまさかの敗北を喫すると、今川は衰退。徳川・武田・北条が今川領への進入を開始する。駿河(静岡県)をめぐって、武田と北条は幾度となく衝突することとなった。


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