他者と社会的な絆を結べばつながりへの欲求は満たされるが、不幸にも、自主性が直接脅かされる。
相互依存すると、自分の行動が他者に及ぼす影響を考える必要が出てくるので、選択の幅が狭まる。逆に、自分自身の目標や好みを他者の欲求や願望に優先させれば、自主性を最大限に発揮できるが、誰かのパートナーや集団のメンバーとしては好ましくなくなってしまう。
「自己決定理論」が無視したジレンマ
こうした事実があるのにもかかわらず、心理学の分野はこのジレンマを認めてこなかった。
過去40年間に、心理学者のエドワード・デシやリチャード・ライアンらは、「自己決定理論(SDT)」についての抜群に重要な書籍や論文の中で、内発的動機づけの性質を詳しく説明してきた。自己決定理論は、目標の追求と人生の満足度を私たちが理解する基盤として最も重要な理論となった。
デシとライアンらはこの種の研究で、自主性とつながりは私たちの最も基本的な欲求のうちに入ると主張したが、これら2つの欲求は相互に強化し合うとしている。
彼らがその根拠の1つとして挙げるのが、良好な関係にある人は多大な自主性を与え合い、劣悪な関係にあると、しばしば押しつけがましく支配的になるという事実だ。
彼らの研究が示しているように、人は良い関係にあると、十分に他者を信頼し、余裕も生まれるので、互いのつながりへの欲求と自主性への欲求を同時に満たすことができるが、人間関係が険悪だと、どちらの欲求も満たすことができない。
たしかにそのとおりなのだが、これでは、そもそも人間関係を構築するときには自主性が損なわれ、自主性を追求するときには人間関係が損なわれるという事実が覆い隠されてしまう。
また、デシとライアンによる自主性の定義は、私の定義とはいくぶん違う。私が自主独立と自己統治を重視するのに対して、彼らは自分の意志で決めているという感覚に注目している。
彼らの視点に立てば、もし私がある芸術愛好家との関係をスキーに行きたいという願望よりも重んじることに決めるなら、休日をルーヴル美術館で過ごすという決定は自主的に下されたことになる。


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