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容貌魁偉で、とにかく目立つ人だった。トヨタ自動車で社長、会長を歴任、経団連の会長として日本企業のグローバル化の旗を振った奥田碩(ひろし)氏が、8月8日に93歳で亡くなった。一橋大学柔道部で鍛えた巨躯はエネルギーにあふれ、歯に衣着せぬ発言の迫力を増幅していた。
記憶に鮮明に残るのが、1995年3月にインタビューした際のこと。日米自動車摩擦のさなか、アメリカが仕掛けたドル安・円高が猛烈に進んでいた時期である。94年6月に戦後初めて100円を突破、95年4月には当時の戦後最高値となる79円75銭まで急騰した。
バブル崩壊後の不況にあえぐ日本車各社には強烈な逆風だ。当時副社長だった奥田氏に円高の話を振ると、「あそこ(日本車メーカー)が潰れれば、円安に反転するだろう」と具体的な社名をボソリ。その直截な物言いに耳を疑ったが、危機はそれだけ深刻なのだ、と伝えたかったのだろう。
危機をチャンスに転換
93年のクリントン米政権発足以降、日米貿易摩擦は急速に激化した。
アメリカ政府は対日貿易赤字の大部分を占める自動車分野を狙い撃ちにし、数値目標の受諾を迫った。日本側がこれを拒否すると、アメリカ政府のドル安誘導によって円相場が急伸。
当時、日本の自動車業界では「100円割れが続けば輸出が採算割れになる」という悲鳴が上がっていた。この危機に対応すべく、奥田氏は部品共通化や設計見直しによる原価低減の陣頭指揮を執った。
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