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川勝知事で話題「細川ガラシャ」壮絶な辞世の句 辞任の心情を問われて引用し、注目が集まる

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  • 真山 知幸 伝記作家、偉人研究家、芸術修士(MFA)

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辞職届を出す心境を問われ、細川ガラシャの辞世の句を引用した川勝知事(左)記者会見する川勝平太知事(写真:共同)(右)細川ガラシャ像(写真:まりーな / PIXTA)
静岡県の川勝平太知事が、辞職届を提出する心境を聞かれた際に、細川ガラシャの辞世の句を詠んだことが話題となっている。果たして、辞世の句にはどんな感情が込められていたのか。真山知幸氏が上梓した歴史物語『泣ける日本史 教科書に残らないけど心に残る歴史』を一部抜粋・再構成し、細川ガラシャの物語をお送りする。

「京都馬揃え」を見事に仕切った父の明智光秀

天正9年(1581年)2月28日、「京都馬揃え」が開催された。織田信長による軍事パレードである。

馬揃えのルートは、本能寺から室町通りを北上し、一条通りを曲がって入った内裏の馬場へと到着する。内裏の東側には、天皇や公家が観覧する仮御殿も建てられた。

華麗な軍装をまとった騎馬武者たちが練り歩く。信長とその一門、家臣の武将たちに、お供の兵も加えて、6万人以上が行進に参加した。

「なんて豪華な……」

そう思わず漏らしたのは、観覧席で観ていた玉(のちの細川ガラシャ)である。パレードの見物には、武将の家族や町の人々も訪れた。玉は姉妹とともに、父が用意してくれた席で、きらびやかな行進に目を奪われていた。

1番手の丹羽長秀、2番手の蜂屋頼隆に次いで、早くも3番手として現れたのが、明智光秀である。

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