ケアマネジャー(ケアマネ)は、介護保険制度の下、介護が必要な人やその家族らの相談に応じ、必要なサービスを受けられるようケアプランを作る専門職だ。行政や介護サービス事業者、医療機関などとの橋渡しを行う。原則として少なくともひと月に1回、利用者の自宅を訪ね、心身の状態を確認する。“住み慣れた自宅で最期まで”と願う人たちを支える、要の存在である。
ケアマネや訪問介護士(ヘルパー)、訪問看護師、地域包括支援センター(包括)の相談員など訪問を伴う仕事に従事する人々は、「事前のリスク把握には限界がある」と口をそろえる。さらに、重大事件であるほど背景は根深く、検証は容易ではない。「どうすれば防げるのかがわからない」という困難さがあるのだ。
事件が起きた住宅で、長年、高齢の母親と2人で暮らしていた男は、地域住民の目に、どう映っていたのか。近くに住む男性(60代)はこう話す。
「ほとんど家に閉じこもっていたようで、交流はなかった。周りでは、関わらないようにしようとする人も多かった。暮らしぶりは静かで、てっきり母親は施設にいるのだと思っていた」
血相を変えて「母親がいなくなった」と走り回る
一方で近隣には、この母親と息子に食事のおかずを届けるなど、40年以上の接点があったという女性(80代)もいた。
「(息子は)何回か会社を辞めてからは働きに出なくなり、ずっと家で母親の介護をしていた。たびたび『母親がいなくなった』と血相を変えて走り回っていて、そのときは私も一緒に探した。息子が車いすを押して、母親を病院や散歩に連れて行く姿もよく見た。向こうから話しかけてくることはなかったが、こちらがあいさつをすると手を上げて応えた」
“病気の人がいるから静かにしてください”という貼り紙が玄関にあり、その時期には騒音をめぐって近隣住民と言い合いになることもあったという。だが昨年、ごみ集積所の掃除当番の話が持ち上がったとき、「やり方を教えてもらえればできる」と男が答えたことに、女性は驚いたという。
「でも結局、大変なのはみんなわかっていたから、掃除当番を頼むのはやめることにした」(女性)。地域に気に掛けられ、つながりは絶たれていなかった様子もうかがえる。
「亡くなった人のことを思うと、こんな事件を起こすのは絶対に許されない。止められなかった自分も悔しいし、むなしい。一生忘れられない。一言、『助けて』と言ってくれれば、何でも手伝ったのに」。女性は何度も、そう繰り返した。
別の女性(60代)は、一昨年、自宅で転倒して起き上がれなかったことがあった。一緒にいた友人が、外にいた親子を見かけて助けを求めると、息子が来て、女性を支えていすに座らせてくれたと振り返る。
「すみませんと伝えたら、そんなことないですと言って、走って帰っていった。私は助けられたことがあるから、歯止めが利かなくなる前に頼ってほしかった。でも、周囲とコミュニケーションを取ることができなかったのだろう」
女性は「悲しい」と何度も口にし、いつ、どうすれば事件を防げたのか、今も考えるという。
男にとって母親の介護の負担は、今年に入ってから、以前にも増して重くなっていたようだと親族の女性(80代)は語る。
「5月に訪ねたとき、『食事を作らなきゃいけないのに母親が出ていってしまうから買い物に行けない』と、台所を行ったり来たりしていた。すごく精神的に不安定そうに見えた。別の場所で暮らしていた家族に様子を見にいくように伝えていたが、間に合わなかった」
私はその家族に手紙などを通じて、話を聞かせてもらうことは可能かどうか尋ねた。今は話すことはできない、との回答だった。


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