特に大きかったのが、弟や義弟の存在だ。
「一人だったら絶対にここまでできなかった」
1969年に岩槻で初期の日高屋(前身である「来来軒」)を開店し、深夜営業と出前で売り上げを伸ばした。当時はコンビニも少なく、深夜に食事できる店がほとんどなかった。さらに岩槻のように人形職人が多いエリアでは、夜遅くまで働く人たちの需要を取り込めた。
つまり、日高屋は単に「ラーメンがおいしかった」だけではない。時代と地域のニーズを的確に掴んだ結果だった。
だが、神田会長が本当に重視していたのは、「店舗数」ではなく「人」だった。
社員の前で夢を語り、実現するために動く
講演で最も熱量を込めて語ったのが、「経営計画発表会」の話である。創業間もない頃、税理士から勧められて始めた取り組みだった。将来どんな会社にしたいのか、どこまで出店するのか、従業員の前で毎年宣言する。
「夢は夜見るものじゃない。語るものなんです」
語ることで、自分自身にプレッシャーがかかる。社員にも方向性が伝わる。そして、それを実現するために動き始める。実際、神田会長が発表会で語ったことは、次々と現実になっていった。
特に力を入れたのが福利厚生だ。当時のラーメン業界は、休みも少なく、社会保険もないのが当たり前だった。しかし神田会長は、「うちは必ず社会保険を入れる」と宣言。業界でも早い段階で制度整備を進めた。これは単なる待遇改善ではない。
「働く人が、この会社には未来があると思えることが大事」
給料をもらうだけなら、もっと条件のいい職場へ人は流れる。だが、「この会社は将来こうなる」と共有できれば、人は魂を込めて働くようになる。神田会長はそう考えている。
その思想は、パート・アルバイトへの接し方にも表れている。日高屋では「フレンド社員感謝の会(集い)」というイベントを長年続けている。働いてくれているパートスタッフに感謝を伝える場だ。
