「母親がいつ寝て、いつ起きていたかわからなかった」
神田会長の記憶に残っているのは、夜明け前から働き続ける母の背中だ。服は繕いながら使い続け、食べるものにも困る生活。それでも家族を育て上げた。
中学生時代には、自身もゴルフ場でキャディーを経験。ここで学んだことが、後の接客業の原点になったという。
「初対面の人と4時間一緒に回ると、その人がどんな人かわかるようになる」
怒る人、気前のいい人、細かい人。相手を瞬時に観察する力は、この時代に養われた。さらに、ロストボールを拾って売る「小商い」も経験。100円で売れればコッペパンが何個も買えた。ここで「商売の楽しさ」を覚えたと振り返る。
その後、さまざまな職を転々とする。喫茶店、本田技研工業の工場勤務、パチンコ店――どれも長続きしなかった。だが、母親からかけられた「自分の好きな仕事をやればいい」という言葉が転機になる。
現場で気づいたビジネスモデルの強さ
結果として辿り着いたのがラーメン業界だった。
もともとラーメンへの強い情熱があったわけではない。知人に「ラーメン屋が人を募集している」と誘われたのがきっかけだった。しかし、現場に入ると、そのビジネスモデルの強さに気づく。
「ラーメン屋はキャッシュフローがいい」
仕入れは後払い、売り上げは現金商売。製造業のように大きな設備投資を抱えなくても回る。この「商売の構造」に魅力を感じたという。さらに、ラーメン屋は努力すれば餃子、チャーハン、ラーメンなどの技術を身につけられる。この参入障壁の低さも、挑戦を後押しした。
やがて独立のチャンスが訪れる。資金はなかったが、周囲の人たちが助けてくれた。金融機関の保証人になってくれた人、店舗を紹介してくれた人、一緒に働いてくれた弟――神田会長は「人に恵まれた」と何度も口にする。
