迎え入れてくれたのは、現社長の平田将武さん。塩パン誕生の“ヒント”を開発者である父・巳登志さんに与えた、誕生秘話に欠かせない人物だ。平田さんは穏やかな口調で語り始めた。
「パンって、今ぐらいの季節──春にもっともよく売れるんです。けれども、夏になると売上が落ちる。そこで、“夏でも売れるパンを”と考えて、私が父にあるパンを紹介したことがきっかけとなりました」
夏──。人々は涼を求めて、水分の多い冷たいスイカや、アイス、ソーメンやうどんなどを多く食べるようになる。汗を多くかくことから、口内の水分も減りがちで、口の中の水分のほとんどを持っていかれるパンが食べられる機会は、自然と減っていく。
「あれは、2003年頃でした。私は当時、高知県にあるベーカリーで修行をしており、父からその店で何か売れているパンはないかと訊かれたのです。父は、“夏にも売れるパンを”と、夏になるとどんどん新商品を開発していました。そこで、私が働いている高知のお店では、バターを巻いて上に塩を振った、すごくカリッとしたパンがよく売れているという話をしたのです。そこからです。塩パン制作がスタートしたのは」
どうしても、良い塩が見つからない「塩パン」開発秘話
パン・メゾンは、「町の小さなパン屋さん」だ。もちろん「開発部」などといったものはない。開発は、父・巳登志さん一人の手によって行われた。ちょっとした空き時間を見つけ、何度も試作を繰り返していった。だが、高知で売れているパンがそのまま、八幡浜市で売れるわけではない。父はどうローカライズをしていくか、さまざまな手法を試した。
イメージしたのは「高齢者にも食べやすいパン」だ。八幡浜市はそこから遡ること11年、1992年に過疎化地域指定を受けていた。ちょうど団塊ジュニアが高校を卒業し、進学や就職で市を離れた時期だ。さらに2003年頃の人口は、約3万人になっていた。ピーク時が1950年の7万2882人なので、半分以下である。人口分布でも高齢者が約3分の1といった時期だった。
そこで巳登志さんは、生地に高齢者でも食べやすい、「ソフトフランス」という種類を選んだ。フランスパンよりもかなり柔らかく、歯が弱くなった高齢者がなに不自由なく食べられるぐらいの固さだ。同時に、生地には多くの水分を含ませ、しっとりモチッとする感触をプラスした。
だが、ここで壁にぶつかった。
「焼くと、上にまぶしてあった塩が熱で溶けてしまうのです。そこで父は、世界中からさまざまな岩塩を取り寄せ、試行錯誤を繰り返したそうです。しかし、どれも思い通りにはいかなかった。そこで父は、八幡浜市で初めて本格イタリアンのお店を出店した、衣輪吉弘さんに相談しました。彼から勧められた岩塩が、熱でも溶けず、辛さもちょうどいいものだったそうです」
