きのこ採りで戦慄「熊の巣穴」見に行った男の末路 戦前の「人間と熊」の命がけの闘いを克明に描写

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立ち上がって、その壁の向こうに目をやった。

穴の入口に細いアオダモの木が生えており、その木肌に、熊が穴を掘った際なすりつけたものと思われる赤土が、乾いた状態で付着している。穴の縁には、ほんの2、3センチほど雪が積もっていて、その上にエゾリスの足跡と、きょう私の跡を追ってきた獣猟犬のノンコがたった今通りすぎていった足跡とが付いている。

右手でそのアオダモを握り、左の掌をそうっと雪の上に置き、そのままの姿勢で左手に力を入れ、一段上に足場を移して伸び上がって熊の穴を覗き込んだ。

それは、今まで想像してみたこともない、見事なまでに美しい造作であった。直径80センチ以上の大きな穴の内側に、笹の葉がびっしりと、しかもまったく同じ厚みで貼りつけてあるのだ。真ん中の洞になった部分は、直径30センチほどの正円形になっている。

さっき、この穴に近寄ったとき、広範囲にわたって付近の小笹の葉が摘みとられているのを目にし、“どうして、こんなに”と訝しく思ったが、きっとシカの群れによる採餌の痕であろうと、自分なりにその疑問にけりをつけていた。それが、穴を覗いたとたん、熊の仕業と分かって、私は驚き、目をみはった。

それにしても、野生の猛獣である羆に、こんな繊細な仕事が本当にできるものなのだろうか。そう疑いたくなるほどに、それは素晴らしい出来栄えであった。

恐怖の体験

あまりの見事さに眼を奪われて、穴の中にいるかも知れない熊のことなど、私はほとんど忘れてしまっていた。剝れ上がった根っ子の上にいた三郎と穴の左側に立っていた六馬の方を交互に見て、声に出して言った。

「おい、2人ともちょっと来てみれよ。ずいぶん綺麗にしてあるもんだぞ」

「本当か」

と言って六馬が私の横へ歩きかけたとき、さわーっと何かが動いたような気配を感じ、思わず熊の穴に顔を戻した―一瞬、体が硬直し、息が止まった。

眼前わずか30センチほどのところに、らんらんと光る目と開いた真っ赤な口、白い牙があった。ウオーッと一声吼えて、その牙が目に突き刺さるように迫り、なま温かい息が顔をなぜた。三郎がパッと根っ子の上から飛び降り、六馬が弾けるように走りだし、咄嗟に穴から身を引いた私はクルリと後ろを向き、逃げようとした体が前へ進まなくなった。“あっ、やられる”穴から飛び出た熊に背後から摑まれたと思うと同時に、体を前へ投げ、思いっきり斜面に跳んだ。

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