2000年代以降「ヒンディー・ミディアム」の高学歴が急増

「インドの子どもたちは初等教育の時点で、家庭の経済力によって『輪切り』にされます」

そう語るのは、広島大学大学院人間社会科学研究科の佐々木宏准教授だ。インドの貧困家庭における教育について研究を続けている。

同氏が主にフィールドワークを行うウッタル・プラデーシュ州(インド北部)の東部にある都市ワーラーナシーでは、裕福な家庭の子どもは英語を教授語(教育言語)とする「イングリッシュ・ミディアム校」で学び、そうでない家の子どもはヒンドゥー語で授業を行う「ヒンディー・ミディアム校」に通う。経済力を反映した英語力の壁は、進学できる高等教育のレベル差につながり、そのまま職業選択時の壁になる。インドではとかく、英語ができるか否かが絶対的な溝を生むと佐々木氏は言う。

佐々木 宏(ささき・ひろし)
広島大学大学院人間社会科学研究科 准教授
2000年、北海道大学大学院教育学研究科博士課程を単位取得退学。同研究科助手を経て、05年から現職。専門分野は教育福祉論。共著に『子どもの貧困』(明石書店)などがある

英語を身に付けられなかった若者たちが目指すのが、2000年代以降に増加した小規模な私立の高等教育機関だ。佐々木氏が研究を行うワーラーナシーとその周辺を含めた行政区には、1950年代、高等教育機関は20校程度しかなかった。それが2010年代には132校にまで増えた。2010年代半ばにはワーラーナシー都市部で「MBAブーム」も起きたという。ほかにもBBAなど経営学の学位、コンピューターや薬学の学位取得などをうたい、「いい仕事に就ける」という強力な宣伝文句で学生を集める学校も多かった。私立なので学費の負担もそれなりにあるが、州政府が給付型の奨学金を整備しており、利用のハードルも日本より低いそうだ。佐々木氏はこうした制度と学校の急増が「以前なら高等教育に進めなかった層の人たちの背中を押している」と語る。

「私は私立の高等教育機関が増え始めた00年代に、そうした学校で高学歴を身に付け、英語力の溝を乗り越えようとしている若者たちを見つけました。彼らが10年後、20年後にどうなっていくのかを知りたいと思い、追跡調査を始めることにしたのです」

佐々木氏が15年12月から、半年程度のスパンで取材を続けてきたラフール君というワーラーナシーの青年がいる。彼は「高学歴者」ではあるが、卒業したのは、入試もなく学費も安価な新興の私立文系校だった。高学歴者の増加によって「学歴インフレ」が起きている現在のインドでは、高等教育を受けても、それが名門校でなければあまり価値がない。

「ラフール君は卒業後もずっと、マーラー(花輪)を作ってバザールで売る家業の手伝いをしていました。公務員試験やインド国有銀行、国鉄職員などの就職試験を受け続けましたが採用にはならず、転職がかなわないまま、20年の春に結婚が決まったと聞きました」

公務員に採用されるのは「宝くじに当たるぐらい」高倍率?

ラフール君は資格取得のための学費が払えず諦めたが、一時は教職員になることも考えた。望む仕事に就けなかった高学歴者が、自分が学んだような小規模の学校の講師になるケースも多いという。変化する教育ビジネスそれ自体が、無職の高学歴者の受け皿にもなっていたのだ。学校の生存競争も激しく、独立した学校としてオープンしたが、数年後には名門大学を目指すための予備校になっていたなどの例もあるという。

「新興の学校としてはあまり学生を集められず、有名大の名前で募集したほうが儲かると経営者がジャッジしたのでしょう」

ブームを起こしたワーラーナシーのMBAバブルは00年代後半にはじけて、現在では同様の学校はほとんど残っていない。しかし教育ビジネス自体はさまざまに姿を変えながら、今も盛んに展開されているそうだ。

ワーラーナシーローカルの新聞朝刊。広告欄は塾や予備校の宣伝であふれる(左)。私立MBAの生徒募集ポスター(右)。冒頭の画像も街角で撮った同じ内容の壁広告。いずれも2010年代前半のブーム時のもの

インドでは、どんな教育を受けることができたかで就ける仕事が厳格に分かれてしまう。さらに佐々木氏が繰り返し指摘するのは、安定した雇用自体が足りていないというインド社会のあり方だ。

「ホワイトカラーを目指してかなわなかった若者たちの多くは、インドの伝統的な仕事に就くことになります。これらは学歴のない人たちを支えてきた職業でもあるのですが、収入は低く、将来性もあまりないものがほとんどです」

伝統的な仕事とは例えば、パーンと呼ばれる嚙みたばこを作って屋台で売ったり、サリーに使われる糸の工場を経営したりするようなものを指す。ラフール君の家業のマーラー売りもその1つだ。

「インドだけでなく、中国など21世紀に入ってから著しく発展した国では、学歴と仕事の関係はどこも非常に似ています。若者の将来が不確実になるということが全世界で起きており、これは現在の日本も例外ではなくなってきていますよね」

学費が安く、安定した仕事に就ける確率が高い政府系の職業訓練校や、名門校を出たかどうかではなく「大卒」という資格で挑戦できる公務員などの倍率は非常に高く、それを勝ち抜いて成功をつかむことを、現地の若者は「宝くじに当たるぐらいのこと」だと考えているらしい。佐々木氏も自身の研究を振り返って言葉を探す。

「一発逆転を狙う若者の間では、外国人観光客と仲良くなることで資金援助を受けたり結婚したりという方法が話題になることさえあります。追跡調査を始めて約20年が経ちますが、高学歴者の就職について、まだ光は見えないというのが正直なところです」

貧しい高学歴者はまだ増えるが若者は「絶望していないよう」

このような苦境にあえぐ若者の数はまだまだ増える、と佐々木氏は続ける。インドの人口は都市部よりも農村部に多く分布している。ワーラーナシーなどの都市で起こった教育ブームや学歴インフレが今後、人口の多い農村部へと、さらに波及していくと考えられるからだ。問題の裾野はより広がるが、それによって希望が持てることもあると言う。

「近年は『高学歴化失業』という問題が、以前より注目されるようになってきました。インドは日本と違って若者の人口比率が高いので、政府は彼らの声を無視するわけにはいきません。困っている若者が増えた分、政府も問題解決の本気度を上げないといけないということです」

約20年の研究の中で、佐々木氏が不思議に感じていることがある。

「インドの若者は、分断された不確実な社会にいながら、あまり絶望しているようには見えませんでした。インタビューをすると、努力が報われないことや、そもそも努力さえさせてもらえない状況に怒ったり泣いたりする若者に出会うことはあります。でも例えばラフール君は、ずっと就職活動を続けていたし、近年は土地を売って新たなビジネスを考えたいとも話していました。カーストによって格差に慣れていることもあるかもしれませんが、自分で自分の人生を選べない中でも希望を捨てずにいられるのはなぜなのか。これを次の研究テーマにしようと考えているところです」

米国などで華々しく活躍するインド系人材について、その成功の要因を「英語力や数学の力」「人口の多い国で競争を勝ち抜いた力」などに求めることがある。だがそれは、富裕層でなければまだまだ手に入れにくいもののようだ。そうした強者の視点で語られるインドのパワーよりも、ラフール君のように、不確実な環境でも絶望しないマインドがあるなら、それこそが今の日本人が知りたいところではないだろうか。佐々木氏の新たな研究の成果が待たれる。

(文:鈴木絢子、写真:佐々木氏提供)

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