インドの教育制度は「仕組みとしては単線、実情は複線」
グーグル、マイクロソフト、IBM、アドビ――これらの世界的IT企業に共通する点をご存じだろうか。答えは「CEOをインド系人材が務める企業」ということだ。イーロン・マスク氏による買収劇でこの10月に解任されるまでは、ツイッター社のトップもインド出身のパラグ・アグラワル氏だった。こうした華やかな実績はテレビやインターネットでも大きく報道されており、インド国内でも多くの若者がエンジニアに憧れて有名大学を目指しているという。
そもそもインドの教育体制はどのようになっているのか。日本の6・3制に相当するものは、初等教育の5年間と後期初等教育の3年間を合わせた、いわば「5・3制」だ。州によって若干の差はあるものの、多くの地域でこの8年間が無償の義務教育(基礎教育)となっている。対象年齢は日本ほど厳密ではないが、基本的には6歳から13歳の子どもだ。その先には日本の高校に当たる「前期/後期中等教育」がそれぞれ2年ずつあり、日本の「6・3・3制」になぞらえるなら「5・3・2・2制」となる。この「2・2」のタイミングでは職業訓練のための学校へ進む若者もいるが、さらにその先に大学があるという仕組みだ。
広島大学大学院人間社会科学研究科の佐々木宏准教授は、主にインド北部のウッタル・プラデーシュ州東部にある都市、ワーラーナシーでフィールドワークを行ってきた。だがこの3年ほどは、新型コロナウイルス感染症の蔓延でインドに足を運べていないという。現地の最新状況をその目で見られていないことを断ったうえで、インドの教育体制を指して、「仕組みとしては単線型だが、実情としては非常にはっきりと複線型になっている」と分析する。単線型学校教育制度とは学ぶ内容が共通化されており、すべての子どもが同じことを学ぶ教育制度だ。現在の日本の教育もこれに当たる。対して複線型とは、初等教育の時点から学校によって複数の学習内容に分かれる制度である。前者は教育機会が均等である一方、後者に比べて自由度は低いともいえる。またかつての西欧諸国などでは複線型の教育制度が多く敷かれ、とくに階級によって通う学校や学ぶ内容が異なっていた。
「私が研究している土地では学区制がなく、親が家庭の経済状況に見合った学校を選んで子どもを通わせる形になっています。もちろん公立校もありますが、教育の質は学費の金額に応じたものになっており、優れた教育を受けさせようと思えば、学費の高い私立校に入れることが必要になります。家庭の経済力によって、子どもたちは初等教育の入り口で『輪切り』にされているのです。入り口が違えば出口も当然違ってくる。世界的にも有名なIIT(インド工科大学)などのトップ校に進むには予備校通いも必要になり、貧しい家庭の子どもはなかなか手が届かない状況です」
公立校や学費の安い私立校は、現地の言葉で授業を行う「ヒンディー・ミディアム」の学校だ。対して余裕のある家庭の子どもは、英語を教授語(教育言語)とする「イングリッシュ・ミディアム校」に入学することができる。経済力による分断はそのまま英語力の差となり、後の高等教育に至るまで続く。
経済状況によって学校を選ぶことが、集団の同質性を高める
佐々木氏はさらにこう説明する。
「格差是正のため、貧困層のための優先枠が設けられているイングリッシュ・ミディアム校もあります。裕福な家庭の子どもが英語を生活言語として育つ一方で、私の主な調査対象である貧困層の若者は、その多くがヒンドゥー語の世界に生きています。運よく優先枠に入れても、突然英語を求められるという環境についていけず、結局ドロップアウトしてしまうケースも多いと聞きます」
公立校の質の悪さは、インドの教育政策でもつねに問題とされているという。公立以上に悪質な無認可の学校が摘発される事件も珍しくはない。同国にも日本の学習指導要領のような決まり事はあるものの、現場レベルではなかなか徹底されていないのが実態だ。さらに、そうした公立校の改善すべき点を、子どもの親が正しく指摘できないという問題もある。
「2000年前後ごろまでは、いかに義務教育を広く行き渡らせるかということがインドの課題でした。それはかなり達成されてきましたが、親世代には教育を受けていない層もいます。そのため、自分の子どもの教育環境をどうすればいいのか、不満があってもどう変えるべきなのかがわからないのです」
また、佐々木氏は「経済状況によって分断されているインドの学校は、同質性が非常に高い」と続ける。
「同じ街に住んでいても、違う学校に通い違う言葉を話していれば、異なる階層の子どもと触れ合うことはありません。私のフィールドワークを裕福な家庭の大学生に手伝ってもらったことがあったのですが、その学生は『今日、生まれて初めてスラムの人と会話しました。新鮮でした』と言って驚いていましたよ」
インドの教育熱は日本の中学受験ブームと重なって見える部分もあるが、佐々木氏は「日本の公立学校はいろいろな家庭の親と子が集まっているのがとてもいい」とほほ笑む。
「学校選択の自由を認めるということは、メリットもありますが、教育制度の平等性というダムに小さな穴を開けるような面もあると思います。実際、インドでは公立校に貧しい家庭の子どもばかりが集まり、豊かな経済力と文化資本を持つ家庭の子どもは公立校から逃げていっている。学校の問題を指摘できる人もおらず、クオリティーが上がらないという構造になっているのです。インドの教育を研究していると、やはり日本の教育制度は大切な財産なのだと感じます」
進学する人が増える一方で、ホワイトカラーの仕事が不足
教育と切り離すことができないインドの大きな社会課題は、高学歴者の受け皿となる雇用自体が不足しているということだ。佐々木氏は、これは大卒者数が少なかった英国統治時代から続く古典的な問題だと説明する。
「経済発展を続けるインドですが、いわゆるホワイトカラーの仕事の絶対数が不足しています。いちばん高収入で価値があるとされるのは、やはり欧米での仕事です。国内でも少しずついい仕事は増えてきてはいますが、高学歴者の増え方に対して圧倒的に数が足りません。進学する人が増えること自体はいいことですが、『ジョブレス・グロース』ともいわれるいびつな成長は発展途上国に多く、インドは『大卒のバス車掌発祥の地』と呼ばれたことも。現在も、若年層の高学歴者ほど失業率が高いという状況が続いています」
インド都市部では、多くの若者が安定した高収入の職を夢見て、できる限りの学歴を身に付けようとしている。だが高学歴者の数が増えることによって、「学歴インフレ」も起きていると佐々木氏は言う。初等教育で生じた分断が、社会に出てから就ける仕事をも「輪切り」にするインド。学問が格差を超えるための武器にはまだなっていないのが現状のようだ。
(文:鈴木絢子、注記のない写真:Luciano Mortula / PIXTA)