深刻な健康被害がなければ長時間労働は合法という異常性
給特法に関わる2つの裁判が注視されている。1つは6月28日に判決が下った大阪府立高校教員・西本武史さんの長時間労働をめぐる訴訟。もう1つは、8月25日に控訴審(東京高裁)の判決を迎える埼玉県公立小学校教員の残業代訴訟、田中まさおさん(仮名)の裁判だ。
給特法は、公立の義務教育諸学校等の教育職員の給与等に関する特別措置法として1971年に制定、72年に施行された。教育職員の職務と勤務態様の特殊性を鑑みて、時間外勤務について労働基準法とは異なる特別ルールを定めたものだ。
その根拠となったのは、文部省(現・文部科学省)が66年に実施した「教員勤務状況調査」。当時の残業時間が月8時間程度だったために、給与月額4%相当の「教職調整額」を支給する代わりに時間外勤務手当および休日勤務手当は支給しない。また超勤4項目(実習、学校行事、職員会議、非常災害など)を除き、教育職員に時間外労働を命じることはできないと規定した。
・給与月額4%相当の「教職調整額」を支給する代わりに、時間外勤務手当と休日勤務手当が支給されない
・実習、学校行事、職員会議、非常災害などの超勤4項目を除き、教育職員に時間外労働を命じることはできない
大阪府立高校教員(原告)の訴訟は、原告が過重な業務負担により適応障害を発症して2度にわたり休職したが、これに対し学校側が適切な軽減措置を取るのを怠ったとして、大阪府(被告)に損害賠償を請求。大阪地方裁判所もこの訴えを認め、被告に損害賠償を命じた。
裁判で被告側は、長時間労働は校長による指示ではなく、原告による自発的行為と主張した。校長は原告に対して「体調は大丈夫か」「仕事を精査し効率的に業務を進めてください」などの声がけを行っており、校長としての注意義務を果たしていたというものだが、判決はこれを全面否定した。
教員の労働問題に詳しい埼玉大学教育学部准教授の髙橋哲氏は、この判決について「非常に画期的」と評価する一方、「これまでも教育職員の過労死や過労自死、精神疾患などで損害賠償を認めた裁判はいくつもありました。このような悲惨な被害がないと学校側の長時間労働の違法性が認められないという現状に問題がある」と指摘する。
文科省の調査によると、うつ病などの精神疾患で休職した教育職員は、毎年5000人前後いる。だが、月80時間の過労死ラインを超える働き方をしている教育職員は大勢いるのが実態だ。この状態を放置していること自体が違法だということを、司法に認めてもらうことが大事だという。だからこそ、田中まさおさんの裁判は、この点を問う重要な法廷闘争になる。
年間約1兆円の超勤手当をめぐる財務省の思惑も懸念要素
田中まさおさんの裁判の争点は、2つある。
1つ目は、超勤4項目以外の業務は教師が勝手に行っている自発的行為ではなく労働時間に該当する業務であり、労働基準法上の法定労働時間(1日8時間、週40時間)の上限を超えた労働時間は労基法違反であること。2つ目は、この長時間労働が労働時間として認められるのであれば、超過勤務手当を支払うか、タダ働き分に対する損害賠償を認めるべきということだ。
2021年10月に下されたさいたま地裁の一審判決は、この訴えを棄却した。1つ目の長時間労働は自発的行為ではなく労働時間であり、377時間23分相当の労働があったと認めた。だが2つ目については、授業が入っていない空きコマや、子どもたちの下校時間と就業時間との間などは「働いていない時間」として労働時間から差し引き、正味の労働時間は32時間57分であり補償に値しないとしたのだ。髙橋氏はこう話す。
「民間の労働裁判なら、正規の労働時間の中から働いていない時間を精査し差し引くことはありえません。しかも、差し引かれた末の労働時間が仮に33時間弱だったとしても、法定労働時間からすれば4日分以上になります。飲食店でいえば、たとえラーメン1杯でも無銭飲食をしたら罪に問われるのに、これほどの時間をタダ働きさせて違法ではないと言うのには無理がある。控訴審で、一審判決の問題点をしっかりと審理し、公正な法律判断が下されることを期待しています」
大阪府立高校教員の長時間労働訴訟に続き、田中まさおさんの裁判でも教員側が勝訴となれば、給特法改正や廃止の機運が高まりそうだが、一筋縄ではいかないだろう。給特法の改正や廃止によって超勤手当の支払いが義務づけられると、そのための予算を確保する必要があるからだ。
「教員の時間外労働に対価を払うためには、年に9000億〜1兆数千億円が必要になるといわれています。財務省としては財政規模を拡大するわけにはいかないので、今ある財源でやり繰りさせようとするはず。そうなると超勤手当を捻出するために、基本給を減らす。基本給が減れば生活が苦しくなるので、教員が望んで時間外勤務をするようになるという流れが生まれる。この仕組みは民間企業の常套手段で、これを財務省が戦略的に利用する可能性は否定できません」
学校に民主主義を取り戻さない限り、働き方改革は進まない
髙橋氏は、給特法の改正や廃止には3つの欠かせないポイントがあるという。
「1つ目は、全国どの地域で働いても基本給は一定水準以上を維持しなければならないという、教員給与基準法を作ること。2つ目は、時間外勤務が発生すること自体を防ぐために、義務標準法を改正して教職員定数を改善すること。3つ目は、民間労働者と同様に、労働基本権(団結権、団体交渉権、団体行動争議権)を認めること。労働基本権を与えないことで、教員が労働条件や業務内容に言及する余地を奪い、無定量な労働時間を生んできたため、労働基本権の回復は不可欠です」
だが、この3つを踏まえて給特法が改正あるいは廃止されても、教員の長時間労働に歯止めがかかるとは限らない。なぜなら「給特法は教員の過酷な労働問題の先鋭化された氷山の一角にすぎない」と髙橋氏は指摘する。
「例えば、2000年の学校教育法施行規則改正を受けて、職員会議はこれまでの議決機関から校長の補助機関へと位置づけが明確化されました。つまり、教育委員会や校長が決めた業務を受け入れる場となり、先生がストップをかけられなくなった。先生が時間外で働くときにも本人の同意は必要なく、仕事を引き受けるかどうかも意見を述べる機会がありません。ですから、教員の時間外勤務が自発的行為と言うのは妄想にすぎません。これでは、働き方改革に積極的な校長であれば、長時間労働が解消されるかもしれませんが、そうでなければ過酷さが増すばかりです」
まるで「校長ガチャ」だが、教員を忙しくさせる要因に「学習指導要領」も挙げられる。各学校で教育課程(カリキュラム)を編成する際の基準を文科省が定めたものだが、新学習指導要領では英語やプログラミング教育の導入など、授業時数や指導内容が増えている。
「文科省はこれを法規であり、学習指導要領を実施しなかった場合は、非違行為として懲戒処分の対象になりうると各種文書を通して主張しています。コロナ禍において、学習指導要領は複数年かけて実施することを認めましたが、これは必ず学習指導要領を複数年かけてでも必ず実施せよ、という意味。学習指導要領をなくせとは言いませんが、法規扱いをやめて参照基準とし、各学校、各教室が子どもの実態に即した教育課程を柔軟に組んで授業を実施できるよう、今の運用を変えるべきです」
こうした状況を長年見てきた髙橋氏は、「もっと文科省は現場を信用すべき」と話す。先月、現場から不評を買っていた教員免許更新制が廃止されたが、代わりに個々の教員が受講した研修の履歴を管理される仕組みが導入された。これも、現場を信用していない表れだという。
「この教員不信は、戦後に形成された文部省対日教組という構図が今に引き継がれているもの。ですが、日教組の加入率は20.8%(21年10月現在、文科省調査)と、かつての対立図式は過去のものとなっているわけで、そろそろ教員いじめの施策は終わらせるべきです。現場の声を聞かない限り、有効な働き方改革が進むわけがありません」
理不尽な法律と文科省・財務省の思惑でがんじがらめになっている学校現場は、民主主義がないに等しい。日本という民主主義国家の担い手を育む学校で、教員の発言権、いや人権さえも保障されていない状況で、子どもの人権も保障されるわけはなく、この国の将来さえも危ぶまれる。今、声高に民主主義を叫ぶ政治家がいるが、彼らこそ国の礎となる教育の実践現場を直視し、誰に向かって民主主義を訴えればよいのか再考すべきだろう。
(文:田中弘美、注記のない写真:Luce / PIXTA)
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