ICTが可能にした「台湾デジタル大臣」との学び
ポンッとディスプレーに出てきた瞬間、生徒たちからどよめきが起こった。台湾のデジタル大臣・唐鳳(オードリー・タン)氏が、九州の高校生と対話するためにオンラインでつながった瞬間だ。
各高校にとっては国際的なオンラインシンポジウムを開催するのは初の試みといっても過言ではない。
参加したのは、主催校の熊本県立熊本高等学校に加え福岡県立東筑高等学校、佐賀県立佐賀西高等学校、長崎県立長崎西高等学校、宮崎県立宮崎西高等学校、大分県立大分上野丘高等学校、鹿児島県立鶴丸高等学校。各校の1~2年生からそれぞれ数名が参加し、オードリー氏に質問を投げかける形式で行われた。
今回のシンポジウムは、もともと参加校の教員を中心とした勉強会が土台としてあった。毎年1、2回集まっての勉強会だったが、20年はコロナ禍で移動・集まることが困難になった。熊本高校の越猪(おおい)浩樹校長は、「教員だけでなく生徒との交流にもこの勉強会を使えないかと考えていたところに、コロナ禍でICTによる教育への関心が高まった。それなら、生徒たちとICTで何かできないかと考え、コロナ対策で有名になった台湾デジタル大臣のオードリー・タンさんと話し合うというアイデアが浮かんだ」と打ち明ける。
越猪校長が中心となって各参加高校に呼びかけ、開催を決定。しかし、そこからが大変だった。11月の開催までに、オンライン上の予行練習だけでも9回実施。そのたびに問題が生じていたのが実状だと、越猪校長は打ち明ける。最大のネックは、ネット回線の安定性だった。
チャレンジしたことで見えてきた「課題」と「希望」
それぞれの学校が持つパソコンなどのハードウェアの差もあり、7校をネットでつなげることから腐心しなければならなかった。どこかがつながれば、どこかの高校の回線が切れる。雨が降ると無線ネットワークが不安定化するという声も上がり、ポケットWi-Fiなどの接続機器を融通し合うこともあった。最終段階には万全を期すため、ホストの熊本高校に有線のネット回線を導入して回線の安定化に努め、当日に備えた。
また、オンラインで向き合うならカメラの位置はどうしたらいいか、部屋の明るさはどうか、自分たちが座る背景をどうしたらいいか……と、改善点が見つかった。照明などの備品を購入したり、カメラを買い替えたり、背景も高校生が自作したりと、企業のテレワーク普及時に発生したような問題も一つひとつ解決していった。
7校が安定した回線上で話し合いができるようになっても試行錯誤が続いた。「ホスト役の熊本高校側が方針や流れを詳しく決めすぎると、参加者の意見が反映されづらくなり、各校の参加者は納得しない。かといって、すべて参加者の意見で方針を決めるとなると、オンラインで顔が見えていても、直接対面しているときよりも誤解が生じやすい。これに接続問題が加わると、話し合いが進まなくなった」(熊本高校2年、尾上結美さん)。
シンポジウムという限られた時間の中で多くのことを聞きたいために、質問内容がかぶらないように調整も繰り返した。「ほかの人と同じではない、自分だからできる質問を考えるのが大変だった。逆に、私が思いつかないような質問や意見を持った他校の生徒の考えを聞けたことは楽しかった」(長崎西高校2年、大久保こゆきさん)。オードリー氏とのコミュニケーションには通訳者を介すものの、日本語として簡潔かつ的確な質問を作成することに、高校生たちは随分と苦労したようだ。
現在では、開始直前に出席者が集まればすぐに始められるように準備をしてくれる「ネット会議」の専門業者が存在する。ただし、今回はすべて教員と生徒でやってみるという経験が必要だと越猪校長が考え、業者に頼ることなく、すべて高校側が準備した。それは、「高校生、あるいは教員にとってICT分野で新しいことにチャレンジすることは貴重。だから複数校がオンラインで同時に参加するようなイベントのためのノウハウを得るため、ひいては公立高校のICT環境の実状と整備といったことを考え、実行する経験を積むことが大事だと考えた」(越猪校長)ためだ。問題があってもそれは経験だと、生じる問題をねばり強く、一つひとつ潰していった。
そして「ネットリテラシーを含めた今回のノウハウを全国の高校にフィードバックしてお返しをしたい」(越猪校長)と、シンポジウムの様子は全国で視聴できるように動画配信サイトで同時中継を行った。当日は視聴を希望する全国250校が、オードリー氏と九州の高校生の対話を視聴している。
コロナ禍でリモートワークが本格化した。リモートワークはコロナ禍の前から導入がうたわれていたものの、結局、コロナ禍という非常事態になって本格的に導入が進んだのが実状だ。導入のためのノウハウも、当初は試行錯誤の連続だった企業や団体が多かった。学校教育でも、遠隔教育・授業が行える学校とそうでない学校の格差が露呈している。ICTを教育に利用するノウハウは広く共有されるべきだ。今回、九州の高校が得たノウハウもその1つになるだろう。
それぞれの気づきを得られた「オードリー氏との対話」
それでは、なぜ対話の相手がオードリー氏だったのか。もともと熊本県の高校は、台湾の高校との交流があった。また20年4月には、熊本の高校生が台湾の大学での学びを保障する連携協定を、熊本県公立高等学校校長会と国立高雄大学など8大学が結んだところだった。
そのうえで、越猪校長は「オードリー・タンさんこそ、STEAM教育を体現した最高の人だから」と説明。つまり科学、技術、工学、数学に加え、アートの思考を持つ人はオードリー氏のような人だと評価する。
だからこそ、世界的なプログラマーであり、詩作にも情熱を注ぎ、よりよい社会の構築のために穏やかに行動しながら、現実にあるさまざまな境界を越え続けるオードリー氏と、九州の高校生が話をしているところを見てみたいと思ったと打ち明ける。
宮崎西高校の川越淳一校長も、オードリー氏を「本当の知性、真の知性を持つ人だ」と絶賛する。「経歴のすごさに加え、どんな質問にも高校生に向かってわかるように、時には適切な比喩を交えながら親身になって話をしてくれた」と評価する。
対話を通して、高校生たちは充実した経験を得たようだ。「大臣であり、コロナ禍から台湾を守った英雄と話をするという貴重な体験ができたことは大きな自信となった。オンラインでの準備過程も、イベントに参加しなければ体験できなかったこと」(鶴丸高校1年、千代丸佳依さん)、「自分の視野の狭さを実感した。オードリーさんのように世界を広く見られるようにこれからの生活で意識したい」(熊本高校2年、西村沙耶さん)、「オードリーさんとの対話だけでなく、オンラインでの話し合いの進め方や難しさ、話し合いの折り合いの付け方など、社会に出てからも大切な貴重な経験を得た」(熊本高校2年、山本優果さん)。
オードリー・タン氏もシンポジウム終了後、「九州の高校生も台湾の若者と同じような問題、例えば包容的な社会をどうつくり上げるか、持続可能なイノベーションをどう行えばいいのかといった社会問題に強い関心があることがわかった」と述べた。また、「今回のシンポジウムの運営は、対話中の音声や映像などとてもよく、ハイレベルなオンライン会議がスムーズに行えた。今後、九州の高校生と対話をしたのと同じような形で、世界の若者と話を続けていきたい」と評価した。
新たな技術を使い、それを生かすためには一つひとつ経験を積み重ねるしかない。それには、ネット回線やハードウェアなどのインフラをきちんとそろえ、使いこなすことができるような経験を持つ人材が何よりも必要だということが、今回のシンポジウムで改めてわかった。また、今回の参加校は各県を代表する進学校だが、進学校だからここまでできたのでは決してない。インフラとノウハウさえあれば、どんな学校でも実現可能なはずだ。そうであってこそ、今回のように生徒たちにとって最高の学習の機会を提供でき、生徒たちがすばらしい経験を得ることができるのだ。
後編「超天才「台湾IT大臣」高校生の疑問にどう回答?」で、対話の内容を読む
(注記のない写真はすべて「世界的なデジタル社会でどう生きていくか、高校生が何をすべきか」より)