現在では考えにくいが、店頭看板も出さなかった。それでも樹庵さんには確信があった。「味さえ良ければお客さんは来てくれる」と。
実際にはオープン直後から順風満帆だったわけではない。ラーメンフリークでにぎわった後、オープン景気は終わり、一度客足は落ち込んだ。
ところが夏頃から雑誌やテレビの取材が相次ぐ。当時のラーメン界で最先端だった「濃厚豚骨魚介」の先駆者として注目を集めたのだ。樹庵さんは振り返る。
「当時は感覚的に、日本で一番メディアに出ていたラーメン屋だったと思う」
この成功は西早稲田のイメージを大きく変えた。学生向けラーメン街から、全国区のラーメン激戦区へ。その第一歩だった。
その後、西早稲田・高田馬場エリアには次々と有力店が誕生する。高田馬場駅の戸山口すぐのところに「俺の空」が登場し、落合方面には「ラーメン二郎」「純連」といった全国区のブランドも進出。樹庵さんは当時をこう振り返る。
「二郎と純連が来た時は『横綱が2つ来たな』と思った」
ただし、それでも西早稲田エリア自体は急激に店が増えたわけではなかった。ラーメン店が出ても長続きしないケースも少なくなかった。「らーめん30」「ラーメン大統領」「山小屋」など、今は姿を消した店も多い。駅から遠いというハンデは依然として存在していたのである。
塩ラーメンの名店「麺屋 宗」が西早稲田を選んだ理由
そんな中、07年にオープンしたのが「麺屋 宗」だ。後に全国のラーメンイベントで圧倒的な実績を残し、塩ラーメンの名店として知られるようになる。店主の柳宗紀さんは、西早稲田を選んだ理由をこう語る。
「西早稲田駅のオープンを知っていたから。それが大きかったです」
実際、副都心線開業前後は街全体が注目を集めた。テレビ番組や雑誌による「西早稲田特集」も増えたという。ただ、柳さんは現在の状況について冷静な見方をしている。
「昔ほどラーメン激戦区という感じではないです。その代わり、個性があって発信が得意な店が目立っているイメージですね」

