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2023年4月、中央大学の看板学部である法学部が、多摩キャンパスから茗荷谷キャンパスに移転し、45年ぶりの都心回帰として大きく報道された。
その報道の中で、“おまけ”のように紹介されていたのが、同じタイミングで開校した「駿河台キャンパス」だ。御茶ノ水駅から徒歩3分、ロースクールとビジネススクールの2つの専門職大学院が入ったキャンパスで、これまであった駿河台記念館が建て替えられ、地下1階、地上20階の高層ビルに生まれ変わった。
しかし、このおまけ扱いの「駿河台キャンパス」こそ、中大の真の意味での都心回帰の舞台だ。
関東大震災で神田錦町の校舎が焼けたことをきっかけに、中大は1926年に神田駿河台に移転した。そこから、78年に多摩キャンパスに移転するまでの約半世紀、中大の中心はこの駿河台にあった。
大学のキャンパスが多く、昔から学生街として知られている駿河台だが、オフィスビルが立ち並ぶ現代ではビジネス街の側面も強い。しかし、戦後復興から高度経済成長期を迎えた50年代から70年代半ば、昭和の体温が一番高かった頃、確かにここは学生が主役の街だった。
「学生生活が楽しくない」その意外な理由とは
『中央大学140年のあゆみ』に、昔の『中央大学新聞』から55年前後の中大生の学生生活をひもとく章がある。これが実に興味深く、現代では想像できない昭和中期の学生生活が見えてくる。

