――その教育観が変わるきっかけは何だったのでしょうか。
きっかけの1つは、生徒たちを地域の漁港へ連れて行った時のことです。学校では見せない表情で漁師の方々と楽しそうに話し、積極的に手伝う姿を見て、「この子たちのことを私は何もわかっていなかった」と気づかされました。
もう1つは、授業改善に努め、寝ている子が2割くらいにまで減ってきた頃のこと。寝ている生徒を起こしたら、その生徒が教室を出て行ってしまったんです。すると、隣にいた別の生徒が「先生は悪くないよ。ずっと授業を頑張っていて、最近は授業も楽しいし」と言ってくれました。
その生徒は以前から授業改善のアドバイスをしてくれていたのですが、私は聞く耳を持っていなかったんですよね。なのに、そんな温かい言葉をかけてくれた。自分が生徒の声をまったく聞けていなかったことに気づかされました。
それからは、実社会と結びつきやすい水産の特性を生かし、実際の生物を見て、触れ、食べるなど、五感を使い、地域社会とのつながりを実感できる授業を目指しました。でも、人間ですからすぐには変われず、また強い指導に戻ってしまって生徒が離れたり、フレンドリーに接しすぎて収拾がつかなくなったり、自分が変わるには何年もかかりましたね。
全国優勝を狙い「発表原稿赤入れ」の結果…
――小浜湾のアマモ(海草)の保全に取り組むダイビング部の「アマモマーメイドプロジェクト」の指導でも、苦い経験があったそうですね。
授業がうまくいくようになった頃でした。この取り組みも全国大会で優勝を狙えると思い、生徒との対話で出てきた言葉を私の都合のいいように抜き出し、発表原稿を作り込んでしまったのです。当時はそれを対話だと思っていましたが、実際は私の設計図に生徒の言葉を当てはめていただけでした。

