「ひつまぶし」初体験(愛知県)
最近、「○○のひつまぶし」というメニューが飲食店ですっかり定着している。○○は、鯛などの魚介類の場合もあれば、肉もある。クックパッドには、塩鯖や缶詰のサンマといった代替食材を使った節約レシピが投稿されている。
本来の「ひつまぶし」は細かく刻んだ鰻のかば焼きの丼で、最初はそのまま、次にネギやワサビなどの薬味を混ぜ、最後に出汁を注いで食べる名古屋の名物である。
アレンジひつまぶしは、この三度に分けて異なる味わいを楽しむスタイルだけを踏襲している。それはつまり、「ひつまぶし」という名称を、食べ方を指す言葉として使っているのである。
マルハニチロが2015(平成27)年6月にインターネット上で実施した「和食・日本料理に関する調査」では、「食べたい日本の郷土料理」の1位がひつまぶしだった。
この料理が全国に知られるきっかけは、その10年前に名古屋で開催された「愛・地球博」。メディアが紹介する名古屋情報に含まれていて、知名度が一気に高まったと言われている。10年間はちょうど、流行を誰もが知る状態になるのにかかる時間の目安に相当する。
私がひつまぶしを知ったのは、全国区になる前年に名古屋へ出張したときだった。喜び勇んで食べた報告をしたら、同じく東京から出向いたカメラマンに、「ああ、ひつまぶしね」と当然知っているという顔で返された。大人の常識だったのかと恥ずかしかったが、実はそうでもなかったようだ。
鰻料理の知識という意味で、当時の私にはコンプレックスがあった。その数年前、大阪で仕事相手と朝食で入った鰻屋でメニューを見て、「うまきって何ですか?」と聞いて「知らないの!?」と驚かれたことがあったのだ。
その店で私は卵焼きにくるんだ鰻を初体験した。東京に来るまで、スーパーで買った鰻ぐらいしかほとんど食べたことがなく、腹開きの鰻も知らず、「大阪って腹開きなんでしょう? 東京のと違いますか?」などと聞かれると答えられなくて恥ずかしい。
ひつまぶし初体験は、名古屋在住の友人に教わった「あつた蓬莱軒」。郊外にある日本家屋の店で、給仕の女性に教わった通り、三度に分けて食べると、確かにすべて味わいが違う。最初は鰻丼の味。次は薬味がいい感じで爽やかなアクセントになり、シメの茶漬けは何とも贅沢。
鯛茶漬けもそうだが、高級食材を出汁茶漬けにすると、何となく背徳感がある。汁の中に浸かったメイン食材は、出汁を含みつつ味は薄くなるので素材の味がくっきりする一方、食材の味が浸透した出汁とご飯はうま味が倍増する。
そして、こういうときはベタだが「日本人でよかった」という気分になる。ご飯は懐かしい味だし、出汁は香りも含めてホッとする。心から幸せになる瞬間だ。
改めて歴史を調べると、私が20年ほど前に初体験した店は、ひつまぶし発祥の最有力候補の店だった。1873(明治6)年に創業した料亭のあつた蓬莱軒では、大人気だった鰻丼の出前で陶器の器がよく割れるので、2代目店主の甚三郎が当時の女中頭のお梅と相談し、5人分を1つの大きなお櫃に詰めて届けることにした。
ところが鰻ばかり先に食べられ、ご飯は残されることがわかり、細かく切って載せておけば、ご飯と一緒に食べてもらうことができて鰻がまんべんなく行き渡ると考えた。その後、客の要望などで食べ方が進化し、三度に分ける方法が定着した。
『Locipo』2023(令和5)年6月22日配信の記事によると、「愛・地球博」の際、同店が商標登録していたひつまぶしの名称を他店が自由に使うことを了承した結果、名古屋各地にひつまぶしの店が登場し、その後の拡散につながったのだという。
