『日本の食生活全集㉘聞き書 兵庫の食事』によると、昭和初期にも城崎の隣にある香住町(現香美町香住区)でノドグロは吸いものにして食卓に載っている。また、この地域で近年は炊き込みご飯の缶詰も売っているらしい。
調達できたノドグロずし弁当を携え、友人たちは京都へ、私は姫路へ、とそれぞれ違う目的地に向かう列車に乗った。昼どきになり、パッケージを開いてすしをパクリ。香ばしい香りが鼻に届き、口中には甘みとうま味が混ざり合った濃厚な味が広がる。思わず「ノドグロ、すごいっす」とメッセージを送ったら、「買ってよかったね、大満足」「最後に巡り合えてよかったですね」とそれぞれから返事が来た。離れても、味覚を通して私たちはまだ一緒に旅を続けていた。
名物のギョロッケについて(佐賀県)
2010(平成22)年前後の数年間、年に数回、都内の佐賀料理店で開催される「ギョロッケの会」という集まりに参加していた。得意先だったベテラン男性会社員のKさんに誘われて参加した会は、Kさんの次に年齢が高いのは私、ほかはほぼ1970年代生まれのプロダクト系のクリエイターたちで構成されていた。
毎回、店の名物のギョロッケ、佐賀県呼子(よぶこ)産のイカの刺身、ゲソのてんぷら、ご飯を注文し、後は飲む。
Kさんは福岡の大学へ行ったものの、育ったのは山口県。なぜ佐賀料理店だったのか改めて聞いたら、「佐賀県出身の友人に紹介された」とのこと。他のメンバーも、熊本市出身の女性が1人いたぐらいで、佐賀とは関係ない。
「ギョロッケって何?」と思った人は多いと思うが、要は魚のコロッケだ。魚のすり身にカレー粉とタマネギ、ニンジンを混ぜ、楕円形にまとめてパン粉をまぶし揚げたもの。昭和初期に考案した唐津市の藤川蒲鉾が、自社のウェブサイトで、当初は「ハイカラ天」「カレー天」などと呼ばれ、やがて「魚(ぎょ)ロッケ」という名前に落ち着いたと説明している。
2007(平成19)年には、山崎製パンとコラボして魚ロッケ入りパンを開発し、九州および山口県の一部のローソンで売られていた。
西日本新聞2021(令和3)年4月13日配信の記事によると、唐津市のほか、大分県津久見市、山口県防府市、広島県呉市、徳島県小松島市などで似た商品が売られている。
発祥はいずれも定かでないが、藤川蒲鉾から広がった可能性はあるようだ。地域や店によって名称は異なるが、私たちは「ギョロッケ」と呼んでいたので、以下はその表記で進めたい。
2010年前後は私にとって、人生の低迷期。友人も仕事も少なく、人間関係とお金に飢えていた当時、ご飯でお腹が膨れるギョロッケの会は、財布への優しさからも心待ちにしていた会だった。
ギョロッケはとても薄く、ほんのりとしたカレー味。誕生時期から推測すると、当時流行した三大洋食を意識したと思われる。
三大洋食とは、カレー、コロッケ、とんかつ。東京では同じ時期、庶民も三大洋食を食べられるように、とパン屋の名花堂(現カトレア)が、形はとんかつでカレーを入れることにより2種類が一度に食べられる、という触れ込みでカレーパンを考案している。そして佐賀ではギョロッケが誕生した。
実は佐賀県、私が唯一足を踏み入れたことがない都道府県である。2024年4月から翌年3月まで、全国商工新聞でエッセイを連載した折、2回出張して食べ歩いて欲しいと言われて、行ったことのない地が多かった九州旅を計画した。その際、動線上どうしても入れられなかったのが佐賀県だった。
佐賀県と言えば米作や茶栽培、磁器の製造などの先進地。伊万里焼の産地へも行きたいし、本場で呼子のイカも食べてみたい。これはがっちり行く機会を待ちたい、と断念。2003年、佐賀県出身のお笑い芸人のはなわによる「佐賀には何にもない」という内容の歌がヒットしたが、実は、はなわ自身が後に認めているようにそれは逆で、むしろたくさんあり過ぎる県ではないか。
ギョロッケの会を重ねるうちに、親しくなったのが少数派だった女性4人。文化的なモノが好きなどと趣味も合い、女子会を開き、映画を観に行き、互いの家を訪問し合う。
やがてギョロッケの会でも強気になったのか、あるとき私たちは店のメニューが意外に豊富、と気づく。それでいろいろ注文して並ぶ品数を増やし続け、ついにKさんが「ギョロッケの存在感がないじゃないか!」と悲鳴を上げ、皆で爆笑した思い出がある。
Kさんは大学教授へと転身し、その後メンバーにもそれぞれ人生の転機が訪れ集まりはなくなった。4人の女子会以外でも、東日本大震災後にメンバーの一部が集まり、「あの日どうしていたか」を語り合ったこともある。
Kさんが、人に飢えていた私を察してくれたのもありがたかった。苦しい時期を支えてくれたあの仲間との日々を、私はずっと忘れないだろう。

