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ライフ #百貨店消滅タウン

「水戸に吸い取られる街」「商圏が貧弱」と言われていた…茨城県の企業城下町で「唯一の百貨店」が迎えた"残酷な結末"

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平和通り
人口20万人規模を誇った日立市に、なぜ百貨店は根付かなかったのか(写真:筆者撮影)

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かつて百貨店は「特別な場所」だった。家族と過ごす休日、背伸びをして選ぶ贈答品。屋上やレストラン街には、地域の憧れと活気が凝縮されていた。しかし今、多くの街からその姿が消えつつある――。
本連載では、百貨店が消滅した街を歩きながら、「なぜ消えたのか?」を街ごとに分析していく。
第5回は茨城県日立市。企業城下町として栄えた日立市に唯一存在した百貨店「ボンベルタ伊勢甚日立店」。県北の中心都市でありながら、なぜ百貨店を維持できなかったのか。

前回では、日立市唯一の百貨店・ボンベルタ伊勢甚日立店が2005年に閉店するまでの経緯を追った。

日立製作所をはじめとする企業城下町の縮小が直接の引き金となり、百貨店は企業の発展とともに生まれ、企業の縮小とともに閉店した。

ただ、それだけでは説明しきれない疑問が残る。最盛期には人口20万人規模を誇った日立市で、なぜ百貨店を1店すら維持できなかったのか。人口が半分以下だった土浦市には3店が存在した一方、なぜ日立市では増えなかったのか。

その答えは、百貨店閉店より50年以上前から既に明らかになっていた。

①企業縮小だけでは説明できない閉店理由

1955年、日本学術振興会は『近代技術の社会的影響に関する実態調査』(日本人文科学会編)という報告書を刊行した。日本ユネスコ国内委員会の委託を受け、54年に実施された調査で、企業城下町・日立市の商業構造が詳細に分析されている。

報告書には、このような記載がある。

「日立市自体の購買力すら水戸、東京に吸収される傾向がみられる」

「東西を海と山ではさまれ、南北に長い自然的環境は向背地に恵まれず」

「日立市商業圏はすなわち日立市のみであるとさえいえる」

注目すべきなのは、この記録が54年、つまり日立が企業城下町として成長を続けていた時代のものだという点だ。百貨店閉店(05年)より50年以上前の時点で、日立の商業が抱える構造的な弱さはすでに分析されていた。

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