日立は企業城下町として人口を抱えていた一方、商圏を外へ広げにくく、市外流出も止めにくい構造を抱えていた。
④「ヘソのない都市」…市内でも4極に分散していた
もう一つ、日立市特有の事情があった。市内に4つの駅があり、それぞれが独立した商圏を形成していたことだ。
84年5月の業界誌『商業界』は、日立市についてこう記している。
「一市の中に四つの駅がある例というのは珍しいのではないだろうか。北から小木津、日立、常陸多賀、大甕(おおみか)の四つであり、それぞれが駅周辺に商店街を持っている」
商業施設の分散はすでに60年代から進んでおり、同誌は日立市を「ヘソのない都市」と表現した。
伊勢甚日立店の周辺には十字屋や亀宗があり、多賀エリアには多賀ショッピングセンターなど、市内各地で商業拠点が形成されていた。どこかが栄えれば、どこかが客を奪われるような状態だった。
実際、84年時点で日立市の地元吸収率は約70%にとどまり、約30%は市外へ流出していた。流出先は南の水戸、そして北の高萩市に出店したイトーヨーカ堂などだった。
外から顧客を呼び込みにくいうえ、同市内だけでも購買力が分散。ボンベルタ伊勢甚は、この「ヘソのない都市」の中心商業施設として営業していたのである。
