東洋経済オンラインとは
ライフ #百貨店消滅タウン

「水戸に吸い取られる街」「商圏が貧弱」と言われていた…茨城県の企業城下町で「唯一の百貨店」が迎えた"残酷な結末"

6分で読める
平和通り
人口20万人規模を誇った日立市に、なぜ百貨店は根付かなかったのか(写真:筆者撮影)
2/5 PAGES
3/5 PAGES
4/5 PAGES

日立は企業城下町として人口を抱えていた一方、商圏を外へ広げにくく、市外流出も止めにくい構造を抱えていた。

日立駅の改札を出ると正面には海が広がる(写真:筆者撮影)

④「ヘソのない都市」…市内でも4極に分散していた

もう一つ、日立市特有の事情があった。市内に4つの駅があり、それぞれが独立した商圏を形成していたことだ。

84年5月の業界誌『商業界』は、日立市についてこう記している。

「一市の中に四つの駅がある例というのは珍しいのではないだろうか。北から小木津、日立、常陸多賀、大甕(おおみか)の四つであり、それぞれが駅周辺に商店街を持っている」

商業施設の分散はすでに60年代から進んでおり、同誌は日立市を「ヘソのない都市」と表現した。

伊勢甚日立店の周辺には十字屋や亀宗があり、多賀エリアには多賀ショッピングセンターなど、市内各地で商業拠点が形成されていた。どこかが栄えれば、どこかが客を奪われるような状態だった。

実際、84年時点で日立市の地元吸収率は約70%にとどまり、約30%は市外へ流出していた。流出先は南の水戸、そして北の高萩市に出店したイトーヨーカ堂などだった。

外から顧客を呼び込みにくいうえ、同市内だけでも購買力が分散。ボンベルタ伊勢甚は、この「ヘソのない都市」の中心商業施設として営業していたのである。

5/5 PAGES

こちらの記事もおすすめ

あなたにおすすめ

ライフ

人気記事 HOT

※過去1週間以内の記事が対象