「立川の半分しか売れない街」だったのに…6つも百貨店があった街・八王子の"高すぎる自己評価"が招いた悲惨な顛末

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八王子駅前
かつて6つの百貨店が存在したが、全滅するに至った八王子市。百貨店が八王子に根付かなかった理由を探る(写真:筆者撮影)
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かつて百貨店は「特別な場所」だった。家族と過ごす休日、背伸びをして選ぶ贈答品。屋上やレストラン街には、地域の憧れと活気が凝縮されていた。しかし今、多くの街からその姿が消えつつある――。
本連載では、百貨店が消滅した街を歩きながら、「なぜ消えたのか?」を街ごとに分析していく。第3回は東京都八王子市。かつては6つの百貨店と10以上の大型店やスーパーが密集する「オーバーストア状態」にあった駅前は、苛烈な潰し合いの末にその多くがマンションやビルに転用。百貨店全滅の裏に何があったのか。

前編では、かつて6つの百貨店が存在した八王子市で、出店ラッシュから全滅するまでの経緯を追った。甲州街道沿いの先発組が駅前への商業重心の移動によって壊滅し、最後まで残ったそごうも2012年に閉店。

なぜ、これほど多くの百貨店が八王子に根付かなかったのか。実は原因は百貨店がやってくるよりも前、まだ一軒も百貨店が存在しなかった1958年にまで遡る。

百貨店を呼び込む要因となった一冊の報告書

1958年(昭和33年)、八王子市が公益財団法人政治経済研究所に委託して作成した『八王子市産業振興基礎調査書』に、気になる一文がある。「ことに将来、工業都市としての発展の傾向が明かになって来ると、いまではまだここに1店も現れていない百貨店が何らかの規模と形で進出して来る可能性は強いとみなければならない」(p.139)。

この報告書は工場誘致対策を策定するために作成されたもので、八王子市長・野口義造が序文で「本市の立地条件について広範囲に亘りその実態をよく把握し得たもの」と太鼓判を押している。

報告書が発行された2年後の1960年、まるき百貨店が開店した。百貨店がやってきたのは時代の流れではなく、市が打ち出したこの街への期待だった。

まるき百貨店跡地にできたコンベンション施設「八王子エルシィ」
まるき百貨店跡地にできたコンベンション施設「八王子エルシィ」(写真:筆者撮影)
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