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ライフ #百貨店消滅タウン

「水戸に吸い取られる街」「商圏が貧弱」と言われていた…茨城県の企業城下町で「唯一の百貨店」が迎えた"残酷な結末"

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平和通り
人口20万人規模を誇った日立市に、なぜ百貨店は根付かなかったのか(写真:筆者撮影)
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一方で、市外から顧客を呼び込めていたわけでもない。市外居住者の購入地区を見ると、日立市を選んだのは26.7%にとどまり、自町村(35.6%)や水戸(13.6%)へ流れていた。

日立の商業は、企業関係者の消費に依存する「閉じた商圏」だったのだ。

③地形・供給所・水戸という三重の制約

なぜ、こうした「閉じた商圏」が生まれたのか。54年の調査と後年の研究を合わせると、日立市の商業には3つの制約があったことが見えてくる。

1つ目は地形だ。日立市の可住地域は、西を阿武隈高地、東を太平洋に挟まれた東西2〜3km、南北20kmの細長い台地だ。常磐線が南北を貫く一方、東西からの流入経路は限られていた。海と山に挟まれた縦長の街には、外から人が入ってきにくい。

2つ目は、日立鉱山・日立製作所が運営していた従業員向けの「供給所」である。今でいう社内スーパーのようなもので、市価より1〜4割安い日用品が販売され、食料品にはさらに補助金も付いていた。70年代後半には県内で80店舗以上を展開し、市内消費の相当部分を吸収していたという。一般商店は価格競争で太刀打ちできず、呉服や時計など専門性の高い業種へ活路を求めざるを得なかった。

3つ目は、水戸市の存在だ。県庁所在地として人口規模も商業集積も大きい水戸は、戦前から日立周辺の購買力を引きつけてきた。52年の小売販売額を見ると、日立市の5987万9000円に対し、水戸市は8億306万5000円。日立は水戸の7.4%にとどまる。

井手氏は、「昔からみんな買い物といえば水戸。でも縦長の地形のせいで、水戸の百貨店へ向かう途中、手前のショッピングモールに流れることもあった」と振り返った。

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