その後、将武さんは高知から愛媛に戻り、県内の松前(まさき)町にパン・メゾンの支店を出す。そこから2年ほど経つと、塩パン人気は八幡浜市を飛び出し、愛媛県でもじわじわと浸透し始めた。そしてついには、テレビに取り上げられるほどになっていった。
「2007年頃でしょうか。愛媛のテレビ局やNHKに取材、紹介していただきました。それがきっかけとなり、あれよあれよという間に東京キー局の全国区へ。──奇跡的だと感じました。ゼロから作った、過疎化地域のパンがこれほど売れるパンになるなんて……。
特に宣伝はしていません。すべて口コミです。八幡浜市の方々、そして愛媛県の方々が育ててくださいました。レシピも一部以外は公開し、今は多くのベーカリーが『塩パン』を作ってくれるまでに至りました。
結果、日本を飛び出し世界でも需要ができました。こんな地方の店舗が開発したパンがそこまで大きくなるということは、なかなか起こり得ないことですよね。本当にビックリしています」
大切なのは「過疎化した町でも、地元を大事に思う心」
漁師から女子高生へ、女子高生から主婦へ。そして八幡浜市から愛媛県、愛媛からテレビ、テレビから全国、そして全国から世界へ──。過疎化地域の「町のパン屋さん」はこうしてパン界に、一つのジャンルと流行を作り出した。
最後に、平田さんに尋ねてみた。
「少子高齢化が進む日本。全国的に八幡浜市のような、合併をしても、過疎化で縮小している市町村は多いと思います。人口が減れば、それだけ売上も下がっていく。同じように人口減少で悩む市町村で生活を営む経営者に伝えたいことはありますか?」。
これに平田さんは熟考し、「偉そうなことは言えませんが……」と前置きして、遠慮がちにこう語ってくれた。
「もともと、全国的に広めてやろうとか、そういった野望はありませんでした。ただただ、地元の方々に愛されるパンを作りたい。地元の人々の家庭を安く小さなパンで幸せにしたい。その想いがあっただけで、それが、たまたまこういう形になっただけなのです。
もし、私に言えることがあるとするなら、やはり、地元の人々に喜ばれる商品を作ることです。ご自身が住まれている地域を大切にすること。それは、新商品に限りません。伝統や文化でもそうです。一番は、地元に愛を持って、大事に、大切に。結局それが花を開かせ、果実を実らせることに繋がっていくのかもしれませんね」
