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キャリア・教育 #浪人したら人生「劇的に」変わった

「戦争のもたらす破壊力に太刀打ちできない絶望感」《国境なき医師団日本会長》が"人生は運で決まる"と確信した背景

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ナセル病院の手術室で術後の重傷乳児を診る
ガザ地区のナセル病院の手術室で術後の重傷乳児を診る=2023年11月20日Ⓒ MSF

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今回は、1浪を経て札幌医科大学医学部に合格。現在、国境なき医師団日本の会長の中嶋優子さんにお話を伺いました。

高校2年生の時にテレビで見た国境なき医師団の映像で、医師を目指す決断をした中嶋さん。そのゴールを叶えるために選んだのが、浪人という道でした。

どうして彼女は、夢を叶えるために浪人を選択したのか。

「浪人してよかった」と話す彼女は、浪人生活で何を得たのか。お話を伺います。

幼い頃の夢は「JALのCAさん」

国境なき医師団で働く医師になることを決めた高校時代(本人前列右)(写真:中嶋さん提供)

中嶋優子さんは、ソニーに勤める父親がアメリカ・ニューヨークに赴任していた時期に現地で生まれました。その後もハワイに4年、カリフォルニアに5年と転々とし、小学5年生で帰国。東京・江戸川区の公立小学校・中学校に通いました。

「今と変わらないんですが、基本的に楽観主義で自由人的な性格でした」と語る中嶋さん。幼い頃は飛行機が好きでJALのCAさんに憧れていたそうです。

公立中学校時代には同級生230人中6位が最高で、大体20位前後の成績。特別優秀だったというわけではなく、「英語をほぼ勉強しなくても済んだおかげで順位を保てていた」と振り返ります。

高校は都立国際高等学校へ推薦入試で進学。在校生の3分の1が一般生、3分の1が帰国生、3分の1が外国人という独特の構成で、英語や数学クラスはレベル別に混在するインターナショナルな環境でした。一方で、数学は評定2ばかりで苦手意識が強かったといいます。

彼女が医師を目指そうと思ったのは高校2年生の時に、テレビで国境なき医師団の映像を偶然目にしたことがきっかけでした。

「もともと生物が好きで、血液型の遺伝の仕方とか大動脈の仕組みとかが面白いと思っていたんです。漠然と生物学部かなと思っていたところに、テレビで国境なき医師団を見て、『医者になったら自分もここに入れる!』と思うようになりました。医学部は生物っぽいぞという印象があり、難しそうだけど、国境なき医師団に入るという目標を叶えるためには医師になるしかないと思いました」

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【医学部目指すも「数学が苦手」】

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