今回は、大阪で生まれ育ち、1浪を経て慶應義塾大学経済学部に進学。生命保険会社に就職後、2年で退職し、28歳から医学部再受験に挑戦。2年間の浪人を経て奈良県立医科大学に合格した林田崇史さんにお話を伺いました。
高校時代の成績は赤点常連、慶應大学時代も「堕落した生活をした」と自ら言い切るように、勉強にはそこそこに向き合うスタンスで人生を歩んできた彼が、なぜ20代後半で医師を目指す決断をしたのか。2年の再受験を経て、彼の人生はどう変わったのか。詳しくお話を伺います。
小学生の時の通信簿はほとんど“3”
林田崇史さんは大阪生まれ。中学から兵庫県に転居しましたが、大阪の学校に通い続けました。
父親が医師という家庭でしたが、何代も続く医師家系というわけではなく、「医者になって当然」という雰囲気はなかったそうです。
性格は「おとなしい感じの子ども」で、私立の箕面自由学園小学校に通いながら、野球を楽しんでいました。
「小学生の時の成績はめちゃくちゃよかったわけではなく、通信簿はほとんど3で、たまに4が取れるくらいでした。塾通いもしていたけど、行っているだけで勉強はしていない感じでしたね。だから中学受験で履正社中学校を受けたのですが、落ちてそのまま小中高一貫の箕面自由学園の中学校に上がりました」
中学時代は成績が上位の方だったという林田さん。模試の偏差値は60前後でそこそこの成績を維持したため、高校受験で男子校として最終年度だった関西大倉高等学校を受験して合格しました。しかし、高校に進学してからは成績は急降下します。
「休まない限りは留年がないと言われていたので、学校のテストはノー勉でした。物理は4点、古文もほぼ最下位くらいの点数を取っていました。大学受験の準備も高2の秋まで何もしておらず、模試の偏差値は40前後で、英語でやっと50を超えるくらいでした。夢も特になく、とりあえず大学に行って何かあればいいな、という感じでした」
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【慶應義塾大学を目指すことに】
