学校文化に残る「昭和の非行少年対策」モデル
第二次ベビーブームの1973年、日本の出生数は209万1983人だった。これをピークに減少の一途を辿っている。2018年時点では、2040年の出生数は74万人程度まで減少すると見られていたが、2024年の出生数は70万人を割る見込みだ(厚生労働省「人口動態統計」)。
少子化が急激に進む一方で、増加の一途を辿るのが不登校。不登校児童生徒の数は11年連続で増加し、過去最多の34万6482人となった(文科省「令和5年度児童生徒の問題行動・不登校等生徒指導上の諸課題に関する調査結果について」)。
なぜ、これほどまでに不登校は増え続けているのだろうか。不登校や社会的ひきこもりの支援と研究を行ってきた精神科医で筑波大学名誉教授の斎藤環氏は、「異常事態が10年以上続いている」と話す。
たしかに、2013年から不登校は徐々に増えはじめ、多い時で前年より2万人増、コロナ禍の2020年以降は前年より5万人近くも増えている。
「これは文科省をトップとする学校教育システムが制度疲労を起こしているからだと考えている。社会は変化しているのに、いまだに学校の指導方針は昭和時代の少年非行予防対策モデルに縛られ、アップデートできていない。少年の犯罪検挙件数は減少傾向にあり(法務省「令和5年版犯罪白書」)、反社会行動は減っているのに、学校では今もなお『問題行動を起こさせない』指導方針を守り続けている」(斎藤氏、以下同)
不登校の増加については、家庭の教育環境の変化などを挙げる専門家もいるが、社会全体の変化からすると影響は軽微だと斎藤氏は言う。中でも問題視しているのは中学校だ。実際、不登校の児童生徒数は、小学6年生から中学1年生の間で激増する。
「『問題を起こさせない』指導の典型が無意味な校則。ほかにも部活動の強制参加や年功序列が原因で、一部の生徒は息苦しさやストレスを感じている。本来ならクラス制の撤廃が理想だが、生徒管理という点で非常に効率的なので、今後もなくなることはないだろう。中学校に行けば、勉強だけでなく対人スキルの獲得や人格形成、スポーツの機会もある。不登校になるとそのすべての機会を失うことになってしまう。競争的な教育環境で言えば、韓国や中国よりはマシという相対的な見方もあるものの、学校がもっと魅力的な空間になることが望ましいと考えている」
不登校当事者へのアンケートから見える原因
これまでの歴史とその規模から、すぐに変わるのが難しい学校文化だが、国の姿勢も変化しつつある。
2016年に教育機会確保法が成立し、不登校は問題行動ではないことが広く周知されるようになった。さらに2019年には文科省が、不登校児童生徒への支援のあり方について「再登校を目標としない」ことを明言した。
もともと不登校は、児童生徒個人の問題という捉え方をされてきた。それは毎年、文科省が行っている「児童生徒の問題行動・不登校等生徒指導上の諸課題に関する調査」でのアンケート結果に起因していると斎藤氏は指摘する。
「これは各学校の教員が記入し、文科省が取りまとめる形で行われている。不登校の原因として、おそらく回答の選択肢に“無気力”が入っているので、教員の立場ならつい“無気力”を選んでしまいがちなのだろう。最近になって、やっと“無気力”の選択肢は問題視されはじめたが、『不登校=児童生徒個人の問題』という認識の広がりに寄与してきたと言える。一方、2020年度に文科省が実施した当事者への調査では、主なきっかけとして、①先生のこと(先生と合わなかった、先生が怖かった、体罰があった)29.7%、②友達のこと(いやがらせやいじめがあった)25.2%、③勉強がわからない22.0%となっていて、これは臨床実感に近い。最初から当事者の調査をしておくべきだった」
とはいえ、何が不登校の原因なのか、子ども自身が話してくれることは少ないだろう。今は、「学校に無理に登校させない」対応が一般的になってきているが、長期化した場合はどのように対応したらよいのか。
「不登校には外的要因があることが多いので、しっかり見極めて対策を立てることが大切だ。お子さんに頭痛や腹痛、対人恐怖症などさまざまな症状が出ている場合は病院(精神科)へ行く。ただ、不登校対策ができる病院は少ないので、まずは親御さんだけで相談に行くことをお勧めする。『本人を連れてきて』という病院も多いので、事前に家族相談をやっているか確認するのがいいだろう。親御さんの家族相談を経て段階を踏み、必要に応じてお子さんも病院に連れていくといい」
一方、症状がない場合は、やはり学校に相談だ。学校側も、不登校の子がいたら家庭の状況を調べてほしいという。
「虐待を含む家族の関係が考えられるのであれば虐待放置になるため、児童相談所を巻き込んで改善を図る必要がある。何が不登校の原因か、本人は簡単には教えてくれないので、学校が問題と考えられる場合は親が、親が原因なら学校が動くしかない」
学校文化が嫌う「被害・加害」の認識を
例えば、不登校の原因がいじめの場合、学校や教員はどう動くべきなのだろうか。斎藤氏は「“お互いに謝って一件落着”といった茶番はやめてほしい」と釘を刺す。
「何より優先すべきは被害者のメンタルヘルスのサポート。その一環で重要なのが加害者の謝罪で、しかも2回必要だ。いじめが起こった直後の謝罪は、被害者はパニック状態なので謝罪を受け止めることはできない。なので、1回目は謝罪したという事実を残すためのもの。その後、被害者が落ち着いたタイミングで、安全な場を設定し、教員も立ち会って加害者が再度謝罪をする。被害者の安全を守るために、加害生徒のクラス替えや転校、出席停止なども検討する。犯罪的なものを除けば、必ずしも加害者に『厳罰』は必要ではないが、被害者ケアの延長線上で加害生徒の一定の行動制限はあってしかるべき。本来は、被害者のサポートを優先すべきなのに、加害者の『指導』を優先させてしまう学校が非常に多い。これも非行対策モデルの弊害と考える」
斎藤氏は、2021年に旭川市の女子中学生がいじめを苦に自殺したことを受けて、市が立ち上げた「旭川市いじめ防止等対策委員会」の委員を務めた。その経験から、「いじめ対策は形式化できる。マニュアル化して一律の対応にすべき」と話す。
「学校現場は被害と加害という言葉を嫌う。しかし、いじめには被害者と加害者がいるという認識が広がらなければ、被害者のメンタルヘルスのサポートも、加害者対策もできない。教員の多くは『加害者やその親はクレーマーになりやすい』と考えて怖がり、被害者に『少しお休みしては?』などと泣き寝入りを強いがち。本来は教育委員会がいじめ対策のガイドラインを作るべきだが、教育委員会も被害や加害という言葉を使いたがらない。そこで、最近では市役所の中にいじめ対策の部署を設ける自治体もある」
実際、大阪府寝屋川市では、いじめ対応の専門部署「監察課」を設置して行政と法によるアプローチに取り組んでいる。
こども家庭庁でも、2023年度からいじめ対策として「学校外からのアプローチによるいじめ解消の仕組みづくりに向けた手法の開発・実証事業」を推進。北海道旭川市や岩手県盛岡市、千葉県松戸市、東京都品川区、静岡県湖西市、三重県伊勢市、大阪府箕面市、熊本県熊本市などが参加し、学校外からいじめの長期化・ 重大化防止に資する事業に取り組んでいる。
一方で、不登校の子の居場所も増えている。校内教育支援センターや学びの多様化学校の設置が進んでいるほか、フリースクールや通信制高校が増加し、不登校の子の支援やその進学先も拡充しつつある。斎藤氏は「旧態依然としている学校文化に対し、通信制高校は時代に合わせたアップデートの意識が高いため、これからも広がっていく」と見ている。
不登校を支援する企業や団体も増えており、支援の輪が広がっているようにも見えるが、トラブルも話題になっている。こうした状況を斎藤氏はどう見ているのだろうか
「適切な介入ならいいと思うが、中にはスマホを取り上げるなどして無理やり学校に行かせるような30年前の不登校対策モデルを行う団体もあるようだ。不登校対策には半世紀近い知見の蓄積があり、登校を強制する不登校支援モデルに今さら戻ることはありえないので、そうした活動を行っている団体には歴史に学んでいただく必要がある」
再登校よりも「自律」を目標に
斎藤氏は、ひきこもり治療の第一人者でもある。不登校のかなりの部分が、何らかのかたちで復学や就職などの社会参加を果たしている一方、不登校の一部が長期化して、ひきこもりへと移行することもある。将来の社会参加を見据えた不登校支援はどうあるべきなのか。
「不登校からひきこもりに移行する人はおよそ2割とされている。ただ、社会参加にこだわると、不登校の子どもは登校、引きこもりの大人は就労が目標になってしまう。それよりも、引きこもりハンドブックにもある“自律”を目標にすべき。この“自律”とは自尊感情の涵養、主体性の回復を指す。自分を否定したり蔑むのではなく、したいことをする。そうすると元気が出る。
とくに思春期のお子さんの目標は、家の中で元気に過ごすこと。安全である以上に家の中で何かやりたいという感覚になる関係を作りたい。お子さんが無欲になるのは危険。無欲とは意欲もないこと。学校に復帰する気力も、社会参加も生きていく意欲もない状態になる。だからこそ、欲望の維持を最優先にしてほしい」
将来への不安から、親もつい急ぎがちだが、単純な方法論でうまくいくものでもないという。斎藤氏は、ひきこもり支援としても不登校支援としても有効な支援として、オープンダイアローグ(以下、OD)を上げる。
ODとはフィンランドの病院スタッフが実践を始めたケア技法/システムだ。本人の声にひたすら丁寧に耳を傾けて誠実に応える対話を重ね、それぞれの違いを掘り下げていく。その過程そのものに、当事者をエンパワーする効果があるとされる。
「家族も教員も普段はODのような対話に対応していないからこそ、やることに大きな価値がある。親や教員にとってODは子どもの思いを聞く機会になるが、一方で子ども側も親や教員が何を考え、何におびえているかを聞く時間にもなる。本人が『この人と話したくない』といった場合はODを行うことはできないが、こじれた相手と話すことにも意味がある」
放置はしないが強制もしない。適切に構う、ことが大事だと斎藤氏。社会が急激に変化する今、大人も改めて“自律”とは何か、考えてみる必要がありそうだ。
(注記のない写真:MAPS / PIXTA)