10カ月で算数の「活用力」が大幅に伸びた
百ます計算とは、縦横に並べた数字の交わるマスに、答えを書き込んでいく計算トレーニング方法だ。タイムを測って毎日取り組むことが推奨されている。シンプルな方法だけに、つい「毎回数字の並びを変えなくてはならない」と考えがちだが、実は「変えない」ほうが効果を発揮すると隂山英男氏は話す。
「私も最初は並びを変えていたんです。でも、校務をしながら毎日違う並びのシートを印刷するのは非常に大変だったので、同じものを1~2週間使い回したんですよ。その後に複雑な計算問題をさせたら、並びを変えていたときよりも明らかに効果がありました」
もちろん、タイムは急速に上がる。計算の処理能力が上がっているということだ。これは、わからない問題に苦しみ、うんうんうなりながら解いていくのとは、本質的に異なる。
「努力と根性で計算するのではなく、九九と同じで問題と答えを丸暗記していくシステムなんです。それを限られた時間で効率的にこなすには、並びを変えないことが重要だと気づきました」
「それだと考える力が身に付かないのでは」「計算しかできなくなってしまうんじゃないか」と思う人もいるだろう。ところが、隂山氏が指導してきた子どもたちは、短期間で応用力を伸ばしている。
「福岡県田川市で学力向上アドバイザーを務めているのですが、2018年度の小学5年生の標準学力調査は、前年度に比べて軒並み伸びました。最も伸びにくいとされ、応用力に相当する算数の『活用』がたった10カ月の指導で大きく向上したのには、私も驚きました」
なぜここまで伸びるのか。隂山氏は「応用力とは、基礎力を自在に活用することだから」と説く。
「基礎・基本を徹底的に反復学習することで、応用力・活用力が伸びるんです。著名な中高一貫校にお子さんが通っているある保護者の方は、百ます計算を何冊も買い置きしているそうです。スランプに陥ったときの脱出法として百ます計算を使っているんですね。プロ野球の選手が、基礎となる素振りやフォームの矯正でスランプ脱出を図るのによく似ています」
「ペケはダメ」が子どもの成長を妨げる
一方で、“やり方”には考慮する必要があるようだ。
「誤ったやり方だと逆効果になるおそれもあります。よくあるのが、電子黒板にストップウォッチを映し出してスタートの合図をするだけ、『できたら自分でタイムを確認して書きなさい』と子どもたちに伝えてしまうケースです。これだと、いくら繰り返してもタイムは上がりませんし、子どもたちが『何度やってもこの程度しかできないんだ』と思い込んでしまう危険性があるんです」
そもそも、子どもたちは全員が計算に自信を持っているわけではない。その状態で100個の計算にいきなり取り組み、最後までスムーズに答えが出せるだろうか。いくつかは間違えてしまうだろう。そうした体験が、苦手意識につながっていく。
とくに計算は、「『6+7』だけ極端にできなかったり、7の列の計算を苦手としていたりする子どもがたくさんいる」と隂山氏。ほかの計算はスムーズにできるのだから、そこだけ苦手だと受け止められればいいのだろうが、実際は「私は算数が苦手なんだ」と思い込んでしまい、転じて「勉強ができない」「私はダメなんだ」と自らを否定するようになるおそれは十分にある。
「実は大人でも、スムーズにできない人はたくさんいます。小学3年生程度の計算ができない状態で大人になっているんです。以前、公共の場で計算が大の苦手だったという方から『百ます計算を1カ月くらいやったら急に計算ができるようになり、ものすごく人生が明るくなりました』とお礼を言われたことがありますが、そういう悩みを抱えている人はかなり多いのではないでしょうか」
そうした事態を招かないためにはどうすればいいか。隂山氏は、タイムを測るときから寄り添う姿勢が不可欠だと話す。
「私が学校現場で指導するとき、最低限これだけはやってほしいとお願いしているのは、タイム経過を『1分、1分15秒』などと告知することです。子どもたちのタイムに対して『昨日より5秒早くなった!』『今日は少し落ちたけど、そういう日もあるから気にしないでね』と個別に声をかけてあげるとなおいいですね。そうするのとしないのとでは、子どもたちの意欲に大きな差が出ます」
さらに重要なのは、間違いへの対応だ。「惜しかったね。次はケアレスミスをしないよう丁寧にやりましょう」と言ってしまいがちだが、これはNGだという。
「『ペケがいけない』という価値観で接しているうちは、子どもは伸びません。『間違えてしまった、自分はダメなんだ』と思ってしまいますから。『ペケに出合ってよかった。これをクリアすれば次のステージに行けるよ』という姿勢で接してあげることが大切なんです。実際、勉強というのは難しくなってから、間違えてからが勝負ではないですか。ただ口で言うのではなく、先生や保護者の皆さんがそういう価値観に転換することが、子どもの力を伸ばすカギです」
子どもは楽しく、親や教員はラクになる
タイムを測る時点からしっかり寄り添うのは、子どもたちの基礎力を把握するのにも役立つ。
「タイムが早い子どもにはより高度な指導を、遅い子どもにはゆっくり丁寧な指導をすればいいわけです。例えば、百ます計算の前に、各段の10個の計算である『十ます計算』をするのも有効です」
こういった反復学習を毎日繰り返していくのが、隂山氏の提唱する「隂山メソッド」だ。その実践スタイルの1つが、同氏の指導する学校で毎朝行う「モジュール授業」。15分という短時間で百ます計算、漢字、音読をしていく。前述の田川市の事例以外にも、多くの成果が生まれている。
「私が2015年から指導している岡山県高梁市のある公立小学校には、学力テストが全国平均からマイナス37.8ポイントという児童がいましたが、1年後にはマイナス8.6ポイント、2年後にはプラス7.6ポイントになりました。誇張なく、すべての子どもが伸び、学習に意欲的になったんです」
百ます計算は、低学年のうちに2分以内を達成することを目標としているが、この学校では今や2年生の前半でほぼ全員がミッションをクリア。そうなると子どもたちの中に「やればできる」の自覚が芽生えるため、学ぶことが楽しみになり、次々に先へ進んでいくという。
「現在、小学2年生の学習内容は非常にボリュームが多くなっていますが、この学校ではあっという間に学び終わってしまって、3年生の内容を子どもたちが勝手に学んでいます。先生がわざわざ教えているのではなく、教材を与えているだけなのですが、3学期の終わりには3年生のまとめの問題をやっています」
誰もが伸び、しかも効率的かつ高速の学び。「勉強時間は短くなったのに、なぜか成績が上がった」という保護者同士の会話も聞こえてくるというが、子どもたちが学び方、もっといえば“伸び方”を習得していることの表れだといえよう。子どもたちは喜び、教員の負担は減り、保護者の信頼は厚くなる。好循環以外の何物でもない。
「子どもたちがこんなに伸びるという事実を、誰もが最初は信じません。でもそれは、『できない』と先生も保護者も思い込んでいるだけなんです」
新学習指導要領がもたらした「危機」
子どもが伸びるのはいいが、別に高速化しなくてもいいのではないか――。そんな疑問も出てくるが、隂山氏によれば、今こそ高速化する必要があるのだという。理由は、2020年度からスタートした新しい学習指導要領にある。
「先ほどの小学2年生の学習内容もそうですが、今後を見据えると、こうした高速の徹底反復学習はさらに重要となってくると考えています。私が危惧しているのは、英語教育です。2000年代の中学校3年間で習得する英単語数は900でしたが、20年からの新学習指導要領によれば、小学校で600~700、中学校は1600~1800を習得しなければなりません。一気に3倍近く増えるのに、そのための対策はおろか、こうした現実が学校現場で認識されていません」
強い危機感を抱いた隂山氏は、「隂山メソッド」を活用した学校向けのデジタル英語教材を開発。国語、算数、プログラミングも加えた「K-GYM」をスタートさせた(現在、学校や教育委員会のみに提供。22年3月まで無償試用期間)。
「学ぶ内容が急激に増え、難易度も高まっている今、子どもたちが苦手意識にとらわれないよう克服のプロセスを丁寧に用意することが不可欠です。高速で反復学習ができるデジタル教材の活用が重要になってくると考えています」
当然、百ます計算がそうであるように、ただ教材を用意するだけでは意味がない。子どもたちの可能性を信じ、一人ひとりをしっかり見守ることが重要だと隂山氏は強調する。コロナ禍に新学習指導要領への移行と、学校現場に多大な負担がかかっている今だからこそ、効率性の追求とともに、そうした基本姿勢の見直しも問うべきなのではないか。
(文:高橋秀和)