世界の中でも珍しい「女子大の工学部」をつくった訳
2022年4月、日本の女子大史上初の工学部を開設した奈良女子大学。同大工学部長の藤田盟児氏は、その背景について次のように語る。
「国立女子大学の本来の役割は、女性の社会進出をサポートすることにあります。理系に関しても、本学の理学部では院生や研究者の輩出に力を入れて実績を上げてきました。また、家政学部を改組した生活環境学部には工学系の教育を行っている教員も少なくないため、工学部をつくりたいねという話も以前からあったんです。生活環境学部だけで工学教育を行うには難しい面があったため、16年にお茶の水女子大学と共に『生活工学共同専攻』という工学系の大学院を設置しました。そうした中、奈良教育大学と法人統合(※)の協議が始まったことを機に、奈良教育大学の情報系や技術系の教員と力を合わせれば、工学部をつくれるのではないかと、18年から具体的に検討を始めたのです」
※22年度より、奈良女子大学と奈良教育大学は奈良国立大学機構に統合
女子大の工学部は世界の中でも珍しい。現在、海外で女子大に工学部があるのは韓国の梨花女子大学のみで、女性とエンジニアの結び付きは世界的に見ても弱いと藤田氏は語る。
「ドイツでも何度か女性だけの工学部をつくろうという動きがあったようですが、実現されなかったと聞きます。10年ほど前からようやくジェンダードイノベーションの動きが出てきて、インドやイスラエルでは女性エンジニア育成のための国家的プログラムが進んでいますが、世界中で今、女性エンジニアの不足が課題とされています。日本でもこの問題に有効な手を打つことができていなかったため、私たちが先頭を切って工学部をつくらなければいけないと思いました」
「リベラルアーツとSTEAM」を2本柱に学び専門を決めていく
しかし、今の女子高生に工学部はまったく人気がない。そんな現状分析から、「女性にとって魅力ある工学部のあり方」について調べることから始めた。
そこで注目したのが、米国のオーリン工科大学とハービー・マッド大学だ。どちらも単科工科大学であり、男女比がほぼ半々。「欧米の大学工学部の一般的な女子学生の比率が10~15%である中、この2校は約50%の女性が入学している」と、藤田氏。その理由を分析したところ、人や社会をどうサポートするのかという視点から工学を学ぶスタンスが徹底しており、リベラルアーツ(教養)を重視しているという共通点があったという。
また今、社会から必要とされている、イノベーションを起こせるような創造的なエンジニアを育成するには、アートを含むSTEAM教育が必要だといわれている。こうした調査分析を踏まえ、「人と社会のための工学」を掲げ、リベラルアーツとSTEAMを2本柱として学び、幅広い分野から専門を選べるようにした。
具体的には、リベラルアーツとSTEAMの科目は一部必修としつつも、履修する科目や年度は学生が自由に選択できるようにし、3年生の段階である程度専門を決めていくという方針を採る。通常の工学部なら1年生から専門が決まっているが、その縛りがない。「来年3年生になる1期生は、『あれもこれも面白い、どうしよう』と迷っていますね」と藤田氏は笑う。
産学連携にも積極的だ。「本学は小規模なので、学内のリソースですべてを賄うことができません。足りないところは企業にお願いするという考えで、例えば、機械工学についてはDMG森精機と連携し、授業や卒業研究まで担当してもらっています」と藤田氏は説明する。
女性エンジニアの養成拠点となるべく、外部の学生も参加できるプログラムも提供している。主にDMG森精機、ソニー、住友電工グループがサポートする「女性エンジニア養成基金」を設立し、今年7月から中学3年生~大学4年生、高専生を対象に、工作機械技術や大規模集積回路の設計開発、AI予測ツールによるデータ分析などが体験できる「女性エンジニア養成ワークショップ」を始めた。
もう1つ、米半導体企業のマイクロンの資金援助により、60人を対象としてキャリア形成に必要な能力を育成するコーチングプログラムもスタート。同社日本法人の女性エンジニアが指導役となり、個別にオンラインで相談に乗る。
「工学部の女性の3割は、大学時代に男性主体の環境で苦労した経験から、男性社会である工学系の就職先を選ばないそうです。ある企業の執行役員の方は、そのことに危機意識を持っており、女性エンジニアのサポートが今後の課題だと協力を申し出てくれました。マイクロンが本学のコーチングプログラムに賛同してくれたのも、男性中心の社会に出ていくうえで、女性のメンタルトレーニングの支援が重要だと認識しているからです」
企業が協力的なのは、AIが工学に関与する時代になったことも大きいという。
「男性だけで開発すれば、どうしても男性向けのプログラムになってしまいます。実際、そのために大手IT企業は初期に失敗してきました。女性進出やダイバーシティーは決してきれい事ではなく、産業の発展に必要だから推進されているのであり、米国ではすでにダイバーシティーへの取り組みが投資基準になっています。先端的な企業ほど、女性エンジニアの育成に積極的だと感じます」
主体性を育み、やりたいことをどこまでも追求できる社会へ
工学部1学年の学生数は、1期生、2期生とも48名。5割は近畿圏からの進学者だが、それ以外は全国から集まってきている。3年生の段階で編入生が10人前後入学するため、卒業時には60人前後となる予定だ。一般入試の倍率は2022年度が6.3倍、23年度は2.7倍となった。
「当初、『理系女子高生の主な進路先は看護と薬学で、工学部は人気がない』と高校の進路担当の先生に何度も言われましたが、想定以上にニーズがありました。入学した子たちに聞いてみると、『人と社会のための工学』という本学の考え方に賛同してくれた子が多かったと感じています」
設立から2年目になるが、実際、女性のモチベーションはやはり「人や社会のため」という点にあると藤田氏は日々感じている。工学に向き合う際、男性はいかに効率化してパワーを発揮するかという性能や技術的な部分を重視する傾向にあるが、工学部の女子学生を見ていると、困っている人がいるから助けたいというところから発想して工学で課題を解決しようとするアプローチが非常に多いという。
「そうした守る・育てるという発想は、まさにSDGs(持続可能な開発目標)の時代に求められていること。社会の目標が、いわゆる『開発』から『持続可能性』に変わったこと、いわば21世紀型の工学が求められるようになったことが、私も授業を通じて実感として理解できるようになりました」
また半年に一度、教員2名対学生1名でコーチングを行っているが、「おとなしい印象だった子が別人のようにパワフルに話をするようになるなど、いい方向に変わってきているなと思うことが多いですね」と藤田氏。女子学生が伸び伸びと成長できるのは、女子大ならではの環境も大きいようだ。
「共学の工学部では例えば50人だと、女性は2~3人くらいしかいません。教授陣の女性比率も低く、圧倒的な男性社会ですから、女性の発想や必要なサポートもないがしろにされがちです。だからコーチングのようなサポートも共学の工学部にはありません。女子大は、男性の目や意見を気にせず、女性が人間らしく活動して学ぶにはいい環境だと私は信じています」
一方で、課題もある。ダイバーシティーの観点からも、文系の女子学生にも入学してほしいのだが、圧倒的に理系の入学者が多い。
「1期生は1名、2期生も1名文系コース出身者がいましたが、よくよく話を聞くと中身は数学が大好きな子だったりします。入試も定員の3割は大学共通テストを利用せず受けられる『総合型選抜探究力入試』にしたり、文系学生のためにリメディアル教育(理数科目の補習)を行ったりと工夫しているのですが、なかなか来てもらえない。ここは課題ですね」
奈良女子大学は1期生が卒業するまでに工学部の大学院を設置する方針で、同じく国立のお茶の水女子大学も、24年には共創工学部(仮称)を開設する計画だ。東西の名門女子大において、女性エンジニアの養成は本格化するが、社会も変わる必要があると藤田氏は指摘する。
「高校1年生の段階では文理の男女比に大きな差はなく、2年生~3年生にかけて一気に理系から女子が消えていくと聞きます。それは将来の仕事を考える際に、保護者を含む周囲のバイアスが大きく働くからでしょう。しかし、IoT革命によって、生活の隅から隅まで工学の知識が必要な社会に変わってきており、今後工学は社会のベースになっていくはずです。だからこそ、本学はいろんな分野とつながって考えることができる女性エンジニアを育てたいし、すべての分野に彼女たちを送り込みたい。そのためには、やはり本人がやりたいことをどこまでも追求できる社会に変換させることが必要だと思います」
教育も、個性を大切にして主体性を育むことが重要だという。「日本全体の傾向として、自主的に動ける子が少ないと感じます。うちの学生を見ていても、主体的に学べる子は半分以下」と藤田氏は言い、こう続ける。
「大学が提供する企画に参加することは自主的とは言えません。うちの工学部も授業外でプログラムや製品を自ら生み出す学生などはいますが、受け身の子はまだ多い。私たちに何かを要求してくるくらいの学生が増えることを期待していますが、まだまだ少ないです。そこには日本の教育が背景の1つにあると感じます。今後、小学校からの教育は、何を学ぶかは子どもに任せ、学び方も大人がコーチングのような形でサポートしていけばいい。そうすれば、多少偏ったとしても、興味がある部分の学びは大きく前進するはず。そして一人ひとりが得意分野の課題を解決していけば、山積する社会課題も解決すると思うのです。イノベーション社会に適応していくには、そうした個別撃破的な考え方が必要ではないでしょうか」
(文:國貞文隆、写真:奈良女子大学工学部提供)