宇宙物理学の話はわかるが「自分はバカだと思っていた」

現在、慶応義塾大学環境情報学部4年生の菊田有祐さん。学習障害のある彼は、読み書きに困難のある子どもの支援を行う「一般社団法人読み書き配慮」代表理事の菊田史子さんの長男だ。史子さんには母親と支援者の立場から合理的配慮について語ってもらったが(史子さんのインタビュー記事はこちら)、今回は当事者である有祐さんに話を聞いた。

学習障害と一口に言っても、抱える困難は人によって異なる。有祐さんは自身の学習障害について、こう説明する。

菊田有祐(きくた・ゆうすけ)
慶応義塾大学環境情報学部4年生
読み書きに困難があるが、小学校高学年から読み書きにタブレットを使用する合理的配慮を受け始め、そのまま地元の公立中学に進学。高校入試では、時間延長などの合理的配慮を受け慶応義塾高校に合格。現在は慶応義塾大学環境情報学部に在籍

「僕の場合“読み”のスピードは遅いですが、つらくありません。一番困難なのは“書くこと”です。文字を書くための労力が大きく、文字を書くことに集中すると、『次に何を書こうとしていたんだっけ』となってしまう。脳のリソースを書くことに大幅に割いてしまうため、考えることができなくなってしまうのです」

有祐さんは幼稚園児の頃、医師からASDとADHDと診断を受けており、医師は母である史子さんに「この子は学習に問題が出てくるかもしれない」と伝えた。しかし、それがどういうことなのか、本人も母である史子さんも、当時はよく理解していなかったという。

「自分は勉強ができないのか、文字が書けないのか、その区別がついていませんでした。自分はバカだと思っていましたし、先生も僕のことを勉強ができないやつだと思っていたでしょうね。算数も暗算なら3桁×3桁くらいまでの計算はできるのですが、文字が書けないから筆算ができない。だから、自分は計算能力がないと思っていました」

書くことの困難は、学校の学習の困難さにつながっていただけでなく、学校生活の難しさにもつながっていたようだ。

「文字が書けないのと、コミュニケーション能力が高くなかったこともあって、いじめられたこともありました。親も、『なんでこんな子が通常学級にいるんだ』とか言われていたみたいです」

学校でさまざまな困難に直面していた有祐さんは、主治医の「好きなことを学びなさい」という勧めで、個人指導の塾に通うようになった。それは学校の勉強を補強する内容ではなく、有祐さんが興味を持った宇宙物理学の話などを理工系の大学院生にしてもらうものだった。

「塾の先生に教わることはわかるけど、学校の勉強はわからなかったので、別物だと考えていました。ほかの子がサッカーを好きなように、自分は宇宙のことが好きなのだと。当時は物理学が小学校の学びより高度であることを知りませんでしたし、塾は楽しかったけれど、学校の勉強がわからない自分はバカだと思っていたので、いつも自信がありませんでした」

担任の先生のおかげで「権利の構造」を理解できた

そんな有祐さんに転機が訪れたのは、小学校5年生の時。障害のある子どもを対象とした大学のプログラムでiPadと出合ったのだ。

「初めて使ったときに、その効果を実感しました。僕は文字が書けないことが障害だったんだ、だから勉強ができなかったんだと気づいたのです」

iPadを初めて使った有祐さんは母の元へ駆け寄り「80倍くらい楽になった!」と叫んだという。半年ほどiPadを使ううちに授業で使える程度のタイピング速度を身につけたが、有祐さんは学校で使うことは躊躇していた。

「5年生のクラス替えでやっといじめから解放されたのに、周りが使っていないものを使うことで、またいじめに遭うのではないかと思ったのです。でも、これを使わないと前に進めない。そう思って先生にお願いに行きました」

6年生になるタイミングで使用できることになったが、担任の教員は有祐さんにiPadの使用について同級生にプレゼンするよう促した。

「実際に伝えて見ると、みんな『いいんじゃない?』という感じで、仲のいい友達も『文句を言う奴がいたら俺がぶっ飛ばしてやるよ』と言ってくれたんです。先生も『ほかにも文字を書くのが大変な子がいたら、同じように正式な手続きを踏んでiPadの使用を認める』とみんなの前で話してくれました」

そしてその教員の言葉が、その後の有祐さんに大きな影響を与えることになったという。

「先生のおかげで、『ノートとiPadという誰でも選べる2つの選択肢があって、自分はiPadという選択肢を選んだだけ』というマインドになれたんです。中学生以降も、何度も配慮申請を断られる場面がありましたが、そのたびに『自分には正当な権利があり、その選択肢を選ぼうとしているのだ』と思うことができた、成長してから合理的配慮の義務があることを知りましたが、先生の言葉によって、僕は小6で自分が持つ権利の構造を理解することができたのです」

困難を極めた「定期テストや入試」でのパソコン使用

小学校でiPadを選択して学習をするようになった有祐さんは、その使用実績を基に中学校でも使用できるよう、入学前に開かれた校内委員会で教員たちに自身の特性や必要な配慮について説明した。「集団行動にはついてこられるのか?」「タブレット端末で書く速度はどのくらい?」といった質問にも1つひとつ丁寧に答えた。

その結果、入学式では「聴覚に過敏なお子さんがヘッドホンをして入場します。ご了承ください」とアナウンスがあったり、学校生活が始まるタイミングで教員が「A組の菊田はiPadを使うけど、文句ある人はいないね?」と生徒たちに言ってくれたり、よいスタートが切れたという。

しかし、定期テストでは「ずるいからダメ」とパソコン使用の許可は出なかった。仕方なく手書きで臨んだが、問題を解き、答えを書こうとすると、「どんな字だっけ」と考え込んでしまい、書こうとした答えを忘れてしまう。その繰り返しに苛立ちと疲労が募った。

それでも点数が取れたため、手書きで大丈夫だろうと判断されてしまった。あまりの苦しさに耐えきれず、練習しても手書きが困難である証拠として、小学校で取り組んだドリルやノートなどを提出してやっとパソコンで定期テストを受けられることになった。

小学校時代の漢字テスト。手書きが困難である“証拠”を提出し、ようやくパソコンで定期テストを受けられるようになった
(写真:編集部撮影)

有祐さんは「自分は絶対に不正をしないので、試験監督をつけてください」と宣言。担任の教員が専属の試験監督となった。試験当日はパソコン・ハンドスキャナー・プリンターを持参し、試験開始とともにB4サイズの解答用紙をスキャンする。

しかし、ハンドスキャナーが読み込めるのはA4のみ。そこでまずB4の解答用紙をA4サイズにはさみで切って読み込んでパソコンに取り込み、解答を埋めていく。「やめ」の合図で解答をプリントアウトし、提出する。B4をA4サイズに切る時間が必要なため、解答に割ける時間はほかの生徒より少なくなる。解答用紙をA4で欲しいと何度も交渉したが、理解してもらえたのは中学校生活が終わる頃だったという。

中学時代の定期テストには、パソコン、ハンドスキャナー、プリンターを持参

高校受験を見据え、中学2年生の頃から、受験当日のパソコン使用を許可してくれる高校を探した。しかし、学力は伸びていくのに受験できる学校が見つからないまま中3の夏休みも学校めぐりを続け、訪れた学校の数は20校を超えていた。

長い奮闘の末、合理的配慮を認められたのは2校のみ。慶応義塾高等学校(以下、慶応高校)では時間延長が、もう一校の早稲田大学高等学院では大学のパソコンの使用が許可された。両校を受験した有祐さんは慶応高校に合格し、晴れて高校生となった。

高校で受けた「理想的な合理的配慮」とは?

有祐さんは「慶応高校では、理想的な合理的配慮を受けていた」と話す。テストのたびに、個別最適な合理的配慮の見直しが行われていたという。

「例えば、僕が国語のテストをパソコンで受けると、予測変換機能があるから漢字は手書きの生徒より有利になってしまう。そのため、僕のテストだけ漢字をなくして80点満点にしようという話が出たのですが、『合理的配慮はそういうことではないんです』と僕が返すと、先生が『合理的配慮に関する知識が足りなかった』と本を一冊読んできてくれたのです。最終的に、僕はまず手書きで漢字テストを受けてから、パソコンで80点分のテストを受けることになりました。こんなやり取りができたのは、学校や先生が『合理的配慮とは何か』を学ぶ気持ちを持っていてくれたから。担任の先生をはじめ、各教科の先生が協力してくださいました」

小学生の頃から自ら学校や教員と交渉を行ってきた有祐さんは、合理的配慮を受けるためのポイントについてこう教えてくれた。

「敵対したり怒ったりせず、建設的な対話を心がけることです。大事なのは、合理的配慮に対するOKを取り付けることなので、一度断られても、いったん言いたいことを飲み込んで次の手を考えること。また、合理的配慮を受けるには、自分から『ここに困っています』と伝えることが重要になります。相手側が『ここに困っているんじゃないか』と予想して決めるのは合理的配慮ではありません。かつての僕のように何に困っているのかわからない場合は、読み書き検査を受けるといいと思います。どの部分にストレスを感じ、困難を抱えているのか、具体的数値で表すことができれば相手を説得する材料になります」

圧倒的に足りていないのは「教員への投資」

高校を卒業後、有祐さんはプログラミングを学ぼうと慶応義塾大学環境情報学部に進学。大学では学びもレポート提出もパソコンで行うため、合理的配慮は受けていないという。そんな彼は洋服に興味を持ち、大学で「ファッション×テクノロジー」による新たな表現を研究する傍ら、アパレルブランドを設立。2022年からコレクションを発表し、2024年に会社を設立した。4年生になったこの4月から大学は休学し、事業に専念している。

大人になった有祐さんは、今の教育現場をどう見ているのか。例えば、GIGAスクール構想によって整備された1人1台端末については、自身の端末活用の経験も踏まえ、こう語る。

「アプリや機能の制限はかけず、自由に使えるパソコンを配ってもらえるといいですよね。社会に出たら目標達成までの過程でパソコンを使っちゃダメとは言われません。学校では、なぜ質の高い学びやパフォーマンスを手に入れるための制限をかけられなければいけないんだろうと思います。能力を培うレギュレーションと能力を評価するレギュレーションは分けて考え、ICTを活用するべきではないでしょうか」

また、現在の日本の教育課題としては、「教育への投資」を挙げる。

「教育への投資が大切だとよく言いますが、圧倒的に足りていないのはその教育を担う教員への投資。僕は教員研修に呼んでいただく機会もあるのですが、半分くらいの先生方が寝ていることも。この現状は問題だと思っています。また、今大学生だからよくわかるのですが、学生にとって教職は就職の保険でしかないんですよね。しかし、教職はもっと“高貴”であるべき。先生方の給与を上げて環境を整え、学び続ける意欲のある教員を集めることが、子どもたちの学びの保障にもつながると考えています」

(文:吉田渓、注記のない写真:菊田有祐さん提供)

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